2021/11/23

地道な場面でこそ真の気持ちが分かる

 

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久しぶりの雨に見舞われています。久しぶりの雨模様に⋯⋯と書こうとして、念のため「雨模様」の意味を調べてみると「雨が降りそうな曇り空の様子」を指すことが分かり、危うく誤用の恥をさらす寸出で回避はできたものの、適切な語句が見つからず、結局は平易な表現に着地してしまい、少しばかり意気消沈しています。ここ数週間はこんなふうに辞典で日本語を確認する日々が続いています。

魅力的な文章を書くことよりも、正しい日本語で書くことの方が肝要に思えてなりません。ユニークだけどもなんだかわかり辛かったり、やたらと誤用が目についたりする文章というのは、読み手の気持ちを多分に萎えさせる気がするからです。逆の立場だったらばそう感じてしまいます。作家ならちゃんとした日本語を使えよ、と。そうした惨状を招かないようにと、今日も地道に辞典と向き合い、自身の語彙力向上に努めている次第です。

ただひたすらに地味な作業。そしてまたどうにもつまらない作業。こうした地道な道のりこそが明日への希望に繋がるものだと信じています。

どれほど悪路であっても静かに耐え忍び、そして手を抜くことなく研磨し続けられるかどうかが、その先に至った時の真価を決めるのではないかと思っています。仮に、思い描いたところに到達できたとしても、そこに至った自分に〝実〟が伴っていなければ、あっという間にその場から陥落してしまうだろうと思います。取り繕ったメッキなどすぐに剥がされてしまう。大衆の目は、そこまで愚かではない。

単に回り道をしているだけなのではないか? と、疑念を抱いてしまうことも、たしかにあります。

こんなことが果たして本当にこの先実を結ぶのだろうか? と、自分の選択に自信をもてなくなってしまう瞬間も、決して少なくはありません。

なにせ、まだ行ったこともない場所です。ただの一度も見たことがない景色ばかりです。その道のりの正否を照合する地図さえ持ち合わせていません。

不安の渦に身を投げ、悲劇のストーリーに浸ろうと欲せば、いくらでも叶えられます。引き返すのも容易です。誰にも止められはしません。なぜなら自分の道を貫く者というのは、得てして周りに何かしらの迷惑をかけているものだからです。相手からすれば「やっと諦めてくれたか⋯⋯。」と安堵するだけ。むしろ心配のタネが減って「君は十分によくやったよ」と、初めて賛辞の言葉を贈られるかもしれません。ある意味では心からの⋯⋯。

地道な場面に差し掛かっている時にこそ、自分自身の真(まこと)の気持ちが分かる。自分はこの道のりの先に辿り着きたいと思っているのか? 本当にこの道を歩みたいのか? 誰かに、何かに触発され、これが自身の生きる道だと思い込んでいるだけではないのか?

もしもそのすべての問いを蹴散らすことができたのなら、そしてまた明日もこの道に歩みを進めることができたのなら、紛れもなく己の本心から出た思いであると確信がもてます。こんなにも暗くて、じめじめしていて、誰もが通りたくない闇路を、自分はこんなにも心を弾ませて歩むことができているのだから。

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