2021/08/23

家族って、なんて素晴らしいのか

 

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「核家族」という形が急速に普及したのは戦後からだそうです。すでに半世紀以上が経過し、もはや両親と子供(と祖父母)を一つのチームとするのは当たり前となっています。

詳しくは知らないけれど、それ以前は街や村などの「集落」を一つのチームとする慣習があって、核家族の単位に限らず、集落で暮らす人たちみんなを身内とする感覚があったようです。現在でも一部の田舎や離島などでその感覚がまだ残っていることを考えると、ひと昔前までは「家族」という単位に対する感覚はもっと広かったのかなあと思います。それこそ近所の人たち皆んな家族、みたいな感じで。

親と子供。

小さな単位になったことによって、その関係性はより濃密になったのではないかと思います。一対一。まさに人間と人間のぶつかり合いが如く、より親子が向き合う機会が増えたのではないか、と。

友達がいない僕にとってはまさにそうです。妻と向き合うこと、そして両親と向き合うことが、僕にとっての対人関係の学び場となっています。作家を始めてからは特に。

 

 

ついさっき父と電話で話していて、例の〝注射〟の経過を聞きました。

送られてきた通知をもとに、ホームページから予約を完了させたそうです。そう、ホームページ。父の口からまさか「ホームページ」なんて言葉を聞く日がくるとは。

その経過を聞いた僕が、電話口に「凄いやんか」と発したところ、父はドヤ顔(想像)でこう答えました。

「あんなもん、簡単やろうが」

昨今のニュースで報道されていたように混み合った回線を辛抱強く待って予約したのだろうと、てっきりそう思っていた僕にとって、その報告はこれ以上にない〝吉報〟でした。なんとあの父が自分一人でインターネットを使えるようになったのです。

いやあ、長い戦いでした。

もう、本当に長かった。

「なんだか冷たいなあ」「それくらいやってくれてもええやろうが!?」などと、これまで散々罵声を浴びせられながらも、辛抱強く、心を鬼にして、突き放し続けてきた努力がここにきてようやく実を結んだ。そのことになかなか感慨深いものを感じました。

この時代、インターネットがまったく使えないことは、不便であることを通り越し、ちょっとした危険を孕んでいる気がしてなりません。60歳を超えた親にとってのステイホームは、僕にとってのステイホームとはきっと意味合いが異なるはず。

両親は現在一週間に一度しか外出をしていません。食材や生活用品などはその時にまとめて購入するそうです。

これから先、その頻度は変わっていくのか? あるいは購入手段が社会的に大きく変化していくのか? それは誰にも分からないことですが、どうなっていくにせよ、インターネットが使えるかどうかがそれらに影響することは間違いありません。

そしてそれよりも「情報」の入手。

自分にとって必要な情報を即座に調べることが出来るか否か? これは年齢に関係なく、生活に大きな影響を及ぼすことは想像に難くありません。とくに離れて暮らしている僕たちにとっては、そのことが分岐点となる場合もあるかもしれない。直ぐに駆けつけられない、あるいは両親の方が僕に気負いを感じてしまうことがあるかもしれないので。

諸々のことを考えると、僕は両親に対して鬼にならざるをえませんでした。

「冷たい子供なんだよ」「自分たちでどうにかする力をつけなきゃいけないんだよ」と。

それが僕にとっての『家族』だからです。

 

 

父に称賛を送ると照れくさそうにしていました。

その父の反応からするに、冷たい息子像の真意は伝わったのかな、と思っています。

「どれだけ喧嘩をしてもいつか絶対に分かり合える」その確信があったからこそ、できたことでした。

だって親子なのだから。どれだけ傷つけ合っても、今日までに築かれた絆が失われることは絶対にない。心からそう断言できました。

それもこれも「核家族」という単位のおかげですね。

 

いやあ、家族って、やっぱりいいなあ。

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