2021/08/23
家族に電話をしよう
先日、一人の有名人が自ら命を絶った。
ネットニュースでその記事を見つけた瞬間、
”ズキッ”と鋭い痛みが胸に走り苦しくなった。
けれどもまたすぐに、
「これはあくまで一例に過ぎないだろう」
という理性が働いて心は落ち着いた。
そう、人は死ぬ。
病気や事故に限らず、ある日突然、人は死ぬ。
”まあこの人に限っては大丈夫だろう”
そう思っていた人がいきなり死ぬ。
そんなタイプには見えなかった人も、
しばらく連絡をとっていない間に気づかず死ぬ。
何度も何度も繰り返すけれど、「人は、死ぬ」のだ。
人は変わらずとも周りは変わる。
周囲の人間、周りの環境、そして時代・・
この宇宙に変化しないものなど何一つない。
だからこそ、「もう大丈夫」なんて状態は存在しないのだ。
僕に近いところでも最低二人は自殺している。
しかも、どちらも、十二分に成熟した大人だった。
とてもそんなことをしそうには見えない
”いい加減な人間”だった。
それでも、コトは、起きた。
それはきっと、
たとえその人物は変わらなくても、
見える景色の方が変わってしまったからではないだろうか・・
中学3年で三度未遂を経験している自分の目にはそう映った。
僕たちはこのクソな時代を生きている。
クソ加減は日々加速度を増していて、
昨日よりも今日はもっとクソになっている。
やりたいこともやれず、楽しみはどんどん取り上げられていく。
こんな状況では、きっと、誰もが一度は考えるはず。
「自分は一体、何の為に生きているんだろう?」
その思考が死に向かうのは決して不自然なことではない。
なぜなら、正と死は表裏一体だからだ。
生の意味を考えるということは、
同時に、死の意味をも突き詰めていくことになる。
だからこそ、熟考した答えが、
「終わらせる」になることも十分あり得るのだ。
もっと話をしよう。
話をするだけで救われる命がある。
人と話すだけでも気持ちが少し楽になるし、
「自分のことを気にかけてくれたんだ」
と相手に感じてもらうこともできる。
僕は今日、帰ったら親に電話をかけてみようと思う。
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