2021/08/23

寿命は見えないけど見えている

 

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自分はあとどれくらい生きられるのか? それは誰にも分かり得ないことだと、誰もが分かっています。

テレビなどで観ている限り、相手の将来展望を告げる占い師であっても、その相手の寿命にまで言及することはまずありません。「左足に気をつけて」とか「腰に気をつけて」などと怪我や病気の注意を促すことはあっても、直接的な言い方で死期を予言することはしません。「あなた、死ぬわよ」と断言していたのはあの強面の女性占い師くらいのもの。

自分がいつ死ぬのか分かっていればどれほど良いだろうか。小さい頃にそんなことを思ったことがあります。

例えば、7歳の時点で自分の死期があらかじめ分かっていれば、実に計画的な人生を送ることができそうです。なにせ正確な人生設計が立てられるので。

仮に60歳で亡くなるのならば、現役の間に老後のことを考えておく必要がまったくありません。それ用の資金も貯めておく必要がないし、年金が本当に貰えるかどうかに気を揉むこともありません。身内に対して介護無用を告げておくこともできます。そのような「老後の不安」という心配の種が減るだけでも、精神的には随分と楽になりそうです。

またお金のことで後悔を残すこともなくなりそうです。もしも突然死してしまったら、たんまりあった貯金について「それだったらもっと使っておけばよかった」と後悔する羽目になるかもしれません。もうすぐ死ぬと分かっていれば使いそびれる心配はありません。

そしてなによりも、健康に関する不安が一切なくなります。

どれほど重い病気にかかろうが、壮絶な事故に遭おうが、そのタイミングでは死なないことが分かり切っているので、めちゃくちゃ強気な生き方をすることができます。「◯すぞ!」なんて反社会勢力の方に脅されても平然としていられるでしょう。どうせ死なない、ということが分かっているので。

だからいくらでも無茶ができます。

ジャングルの奥地に足を踏み込むことも平気でできてしまうし、エベレストなどの死の山への登頂チャレンジも即断できてしまう。もう「無一文で世界一周旅行」なんかも、近所に散歩に行くような感覚でいけてしまうかもしれません。何が起こってもへっちゃら。ピストルだろうが伝染病だろうがどんとこい。まさに怖いもんなしで、あらゆるチャレンジを実現させることができるでしょう。そう、その時がくるまでは。

歳をとってくると、残りの人生であとどれだけのことができるのだろう? とたまに考えます。きっと死の実感が少しずつ伴ってくるからだと思います。自分の体が健康であるうちに、少しでも時間に余裕があるうちに、と。ここから先は、可能性は目減りしていくばかりではないかと思ってしまうからです。

とくに足が不自由になった祖母を見ていると、そんな焦りの気持ちを禁じ得ません。「万全」がいつまでも続かないことに嫌でも気づいてしまうのです。

 

 

自分の寿命など見えやしない。

けれども、それが減っていくサマは誰しもに見えている。その様子を目で確認できずとも、着実に、そして確実に、失われていく命の灯火の存在は、しっかりとこの目に捉えている。

だから、それがあとどれくらいで消えてしまうのかなど、分からずとも別に構わないのかもしれない。

分かっていようがいまいが、どのみち、自分のやるべきことは変わらないのだから。

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