2022/01/14

小説は足し算なのではないか

 

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今日、一日読書をしていたらふっ、と考えが降りてきました。あるいは、小説は足し算なのではないか、と。

これまで自分は、できるだけ短い作品に仕上げようと考えて小説を書いていました。必要な要素だけを盛り込んだ簡潔な作品にしなければと。余計な文章はできるだけ省く、いわば「引き算の思考」で小説を書いていました。その理由は、自分がKindle作家、つまり電子書籍を生業としているからです。

紙の本と電子書籍を比べると、圧倒的に紙の本の方が、小説には有利だと思います。いや、小説に限らずすべてのジャンルの本においてそう言えるかもしれません。形ある物の方が、人は価値を感じやすいからです。これはマーケティングをかじったことのある者なら誰もが知っている基本的なこと。実際に手に取ってその重みを感じ、紙独特の匂いに鼻腔をくすぐられながら、美しく描かれた表紙に小説の世界観を重ねる。これは、紙の本でしか得られないことです。

また電子書籍は読んでいて目が疲れます。スマートフォンでなく専用の端末で読んでいればまだマシだけど、それでも、電子画面を長時間見つめていると、まず誰もが目に疲労感を覚えてきます。読書好きに多い眼鏡やコンタクトを着用しての読書なら尚のこと。電子書籍の利点は「持ち運びできること」その一点に尽きるといっても過言ではないかもしれません。今のところは。

だからこそ電子書籍は簡潔でかつ面白くなければいけない。というのが、これまでの自分の、売れる電子書籍作成に向けての〝ロードマップ〟でした。その設計をイメージしながら原稿を執筆していたわけです。

けれどもその考えは間違っていたのかもしれません。そもそも人の心を動かす小説を書こうと思えば、それなりのボリュームが必要になってくるのかもしれない。そしてむしろ、簡潔であることは利点ではないのかもしれない。

昨日、小説とは、読者がその世界観に没入するために読むものなのだ、という一つの結論を導き出しました。つまり読書の目的は『没入することにある』ということです。

もしそうならば、没入する時間が短いことは、読む人にとってのメリットとはなりません。小説を読んでいる人たちは、できるだけその世界観に浸っていたいと思うはずだからです(あまりに長いのは辛いけど)。読み進むにつれ、終わりが見えてくるにつれて、「ああ、もうすぐでお別れしなきゃいけないのか⋯⋯」と寂しさが込み上げてくるのが良い小説なのではないかと。何が良いか悪いかは一概には言えないが、最低限、売れる小説とは『別れの名残』を感じさせる作品を指すのかもしれないと、そんな考えに至りました。

たしかに電子書籍は紙の本よりも目が疲れるかもしれない。けれども、考えたらスマートフォンの存在がそうだろう。じっと画面を見続けていれば疲労感を感じる電子機器の代表格。それなのに、電車内にはじっとスマホの画面を見つめる人たちで溢れ返っているではないか。

だからきっと、面白ければ疲労感は問題にはならないのかもしれない。読んでいる時間を忘れさせるくらいに没入させることができれば、おそくらそのデメリットは大した問題にはならないのだろうと思う。そしてまたそれが読者の没入欲を満たすことにもなる。

そのために、小説には、どんどん要素を足していくべきなのではないかと思う。一度自分が書き上げた原稿に対して、その時点以上に読者を楽しませるエピソードを肉付けさせていくものなのではないか。だから引き算ではなく、足し算の思考で作り上げるべきなのではないか、と。

まだ推論の域を出ていませんが、読書を重ねてきて、自身の考え方が少し変わりつつあります。

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