2022/01/16

己で導き出したからこそ意味がある

 

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自身で小説を書いていて、どうにもしっくりこない事柄がありました。登場人物の心情描写についてです。

小説を書くにあたっては、基本的に1人称か3人称か、どちらで物語を綴っていくのかを決めます。1人称なら「私」の視点でストーリーを語り、3人称なら登場人物たちの様子を第三者の視点で語っていく。1人称(主観的視点)は心情描写に、3人称(客観的視点)は情景描写に適していると一般的にはいわれています。

ただ、昨今の小説においては、両者の境界線は曖昧になりつつあるそうです。実際、有名作家の作品においても、3人称の地の文のなかに登場人物の心情描写が混ざっているものが多々見受けられます。客観的な立場からの語りが前提であるのにも関わらず、です。

そうなった確かな経緯はわかりませんが、おそらく、3人称の文体を型通りに遵守した文章では、客観的視点が色濃く出るあまり、読者が登場人物の気持ちに共感し辛くなる。というのが大きな要因なのではないかと思います。登場人物のセリフと地の語りを明確に分けた固い文章や、ギミックや情景の描写が多くを占める小説は、どこか冷淡な印象を読み手に与えるのかもしれません。だから要所に登場人物の心情を入れ込むことで、読み手の世界観への没入を補助しているのかも。

この3人称の変化に対し、1人称の小説では、一部の章において3人称の文体で語られているケースがわりと散見されます。例えばプロローグを3人称で語り、第一章が始まるや突如「私」が語り出すような作品なんかも何冊か目にしました。1人称の文体は、いかんせん単調になりやすいという面があるからだと思います。あるいは某有名作家のような、章ごとに1人称と3人称をコロコロ変える独特な文体の作品もあります。もちろん読んでいて違和感を感じることもなく、その美しい世界観から離脱する要因にもならない流れるような語りで綴られていました。

その作家が、かの文学賞の選考委員を務めていたことからも、それらの〝ハイブリッド小説〟は、現代においてはもはや許容されていると言ってもよさそうです。もちろん、基本的にはどちらかに一貫させることを原則としたうえで。

しかし、白か黒か、0か100か、という極端な思考で物事をとらえる自分にとっては、そのどっちつかずの文体は、執筆にあたって多分に自身の頭を悩ませました。これは一体、どこに著者としての視点を置いて書けばいいのだろうか、と。

主観的視点ならひたすら主人公になって書けばいいだけ。客観的視点なら物語の外側から人物たちの様子を書けばいいだけ。けれども「場面によっては変える」となると、書きながら自分が今どこに立って物語を語っているのかが分からなくなってしまいます。とくに今書いているのは3人称の小説で、初めて書くがために、途中でこんがらがって酷く散らかった描写になってきてしまいます。もはや自分でも何を書いているのかが分からなくなるくらいに。

当然それは経験が足りないがゆえなのですが、ただ、実力不足というよりも、なんとなく自分の「錯誤」が原因かもしれないという予感をひしひしと感じていました。技術うんぬんの話ではなく、物語を綴っていく著者の視点に関する〝認識〟が間違っているのではないかと。3人称とか1人称とか、そういう文章のルール以前の問題で。

 

今日、また小説の読書をしていてふっ、と理解が降りてきました。

『描きたい人物の脇の人間の視点に立って書けばいいのだ』

これまで自分は、小説の主題に沿う重要人物の心情を描写することが大事なのだと、ずっとそう思っていました。ミステリー小説でいうところの探偵、ヒューマンドラマでいうところの熱い男、です。彼らの心情を、彼らの視点から描き出すことが、自身のメッセージを読者に伝える上での重要な要素なのだと認識していました。

しかし、それは間違いでした。物語の重要人物ではなく、その人物の隣にいる人物の視点に立って、心情や情景を描写していくべきだと今日、ようやく気付いたのです。

いやはや、考えてみれば当然の話でした。小説は、読者に対して描写することで語っているのですから、そのキーパーソンの心境を延々と語るのは、まさに読者に対して主題を直接説明することを意味しています。表現するのではなく説明してしまっている。そんなのは小説ではなく、単なる〝レポート〟。いかに読者を納得させるか、そんなことが著者の主眼に置かれてしまいます。読んでいて面白いわけもない。

物語を語るのは、周りにいる〝常識人〟でなければいけない。「なんだこの人は?」という、重要人物を取り囲む周りの人間の気持ちを表現することで、読者に物語を伝えていくのが、小説なのだ。その認識を、1年かかってようやく得ることができました。きっとこんなもの、小説の学校(そんなのあるか知らないけど)だったら一番最初に習うようなことなのでしょうね。たぶん基礎中の基礎かも。

そういう人たちからすると、きっと自分はバカみたいに映るのかもしれませんが、でも自分は、自分自身の導きによってこの本質に到達することが、とても重要なことだと考えています。人から教わったのと、自分で理解に到達したのとでは、その理解度が全然違います。これは起業家時代の自分の経験からしても間違いありません。自分で確立させた理論ほど盤石で、そうそうブレない土台はない。

今日という日は、自分の作家人生において忘れられない日になると、確信しています。

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