後ろ向きな自分で前に進む

 

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昨日、一昨日からガラッと気温が下がり、本格的な冬場に突入した感があります。我が家ではとうとう耐えきれず、「12月に入るまでは⋯⋯」と夫婦で取り決めていた暖房のスイッチをついに点火してしまいました。別に寒さと我慢比べする必要はないのですが、なんとなく一度掲げた公約は遵守したいと考えるのが人間です。ちなみに前言撤回した妻に対し、夫の執筆部屋の方は頑として師走を待つつもりです。

こういった姿勢が、自分が執念深いといわれる所以なのでしょうか。一度決めたことは最後まで貫かずにはいられない性分です。

ただその姿勢を「ストイック」などと形容するのは少し違和感があります。また「負けず嫌い」というのもなんだかしっくりきません。たしかにどちらも間違ってはいない気はしますが、どこか本質を突いた言葉ではない気がするからです。

諦めない心を「不屈の精神」などと称しますが、その精神を支えてくれるのは、高みを目指して駆けあがろうとする向上心よりも、むしろ不安や恐怖に追い立てられる焦燥感の方が強いのではないかと、個人的には思っています。ひたすら前を向いて走るパワーよりも、何かから必死に逃げるようにして走るパワーの方が、より力強い。無理やり前を向く、あるいは前を向かされているといった感じでしょうか。半ばヤケクソ気味に。

目標に向かってひた走る多くの人はきっと、ポジティブなエネルギー、またはポジティブな思考でもって駆けているのだと思いますが、自分は性格上、そういった見栄えの良い走り方はできません。背中を不安の妄想に追い立てられ、頭を恐怖の幻覚に小突かれながら、全身汗だくになってもつれた足を必死に手で掴んで前へと押し出す。そんな無様な様相で目標へとじりじり向かっていく方が、自分には合っています。

たしかに普段のブログでは、人が目にする以上、見た者を勇気づけられるものとなることを意識し、それなりに格好良い言葉でもって文章を綴っていますが(ネガティブは伝染するのでなるだけ避けています)、実際の自分は、すでに公言しているように生粋の根暗人間です。またつまらないほどの現実主義者ですし、夢や希望を頼りに人生を生きるタイプでもありません。あくまで〝結果主義〟の行動理念で動いています。

あるいはもしそれでも、自分の進んでいる方向が前向きに終始しているのだとしたら、それはおそらく『ケチ』だからだと思います。

ぶっきらぼうに言えば、誰もがどのみちいつか人生を終える運命にあって、どう生きようとも最後はすべて無に帰すわけで、どれだけ傷つこうが、世間に恥を晒そうが、そんな記憶はいつか自分からも、そして人々の頭からも消えて失くなってしまうのだから、自分のやりたいように生きなければ勿体ないのではないかと、そう思わずにはいられません。せっかくこうして命を授かることができたのだから。

だから何事も、「仕方がない」で終わらせるのが、どうにも我慢なりません。「いいや、そんなことはないだろう」「人の可能性を勝手に決めないでくれ」どうしようもない状況に直面した時も、万策尽きたと心から思えるまでは、その歩みを止めずにはいられません。そういった意味ではやはり執念深いのかもしれません。〝命の使い方〟というものに対して。そういった焦燥感やケチという「ネガティブな要素」が、自身の諦めない心を、いつも支えてくれています。

世間では、輝かしい人生を手にするには前向きでポジティブな考え方が必要だとよく言われていますが、個人的には、自分を欺き無理やり前を向こうとするよりも、後ろ向きな自分のまま前に進めばいいのではないかと思っています。不安や恐怖というのは後ろから追い立ててくるものなので。

火事場のクソ力。という言葉もあるように、人は追い込まれた時にこそ、潜在的な底力を引き出すことができるのではないかと思います。それが自分でも予想だにしない結果を生む、というのは決して少ないと思う。

少なくとも自分の場合は、ひたすら前を向いて走るよりも、後ろを振り返っては必死に足を運ぶ方が、これまでの経験上、より良いパフォーマンスを発揮することができています。

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