2021/08/23
必要なものは既にある
もっぱら小説の執筆に励んでいます。ストーリーを創造し、どう表現しようかと試行錯誤し、分かりやすい文章にと尽力する毎日。0→1→10、を日々繰り返しています。
フィクションの小説を執筆するのは初めてで、自分にとっては挑戦になります。今までやったことがないことへのチャレンジです。
過去にも様々なことにチャレンジしてきましたが、この小説の執筆においては、これまでにない不思議な感覚を味わっています。
新しいことに取り組む際には、新たな知識を身につけ、新たな技術を習得する必要があると思います。未知なる体験なので。最初の段階で、まずインプットが必須になるかと思います。
ところが今回のチャレンジに関しては、ほぼインプットの工程を経ていません。いきなりアウトプットから始めて、途中で執筆の手が止まってしまっても、しばし時間を置くことで発想がおりてきて、次へ次へと書き進めていくことが出来ています。
たまに自分でも「こんな文章、よく思いついたな」となるほど、思わぬパフォーマンスが発揮されます。これを自分が書いたとは思えない、というような、不思議な感覚を度々味わっています。
それで、どうしてそうなるのかと考えてみたところ、これはきっと『脳の記憶』のおかげなのではないか。そんな結論に達しました。
何かの本に、人の脳はこれまでの体験を全て記憶している。ということが書いてありました。記憶自体はすべて保存されていて、必要な記憶だけが取り出されている。というような話です。
それが本当ならば、これまでに読んできた数々の小説が自分の書く文章に引用されている。ということになるはずです。
つまりは”インプットは既に終わっている”。
あくまで推論に過ぎませんが、そんなふうに思えてなりません。
もしかすると、自分の好きなものや興味があるものに関しては、莫大な知識量が既に脳みそに保存されているのかもしれない。そんなことをふと思いました。
何かを始めるにあたっては、勉強や準備が必要だと、普通は考えると思います。
けれど自分が本来やりたかったことに関しては、もしかすると勉強も準備も必要ないのではないか。いきなり取り組んでしまえばいいのではないか。
ちょっと極端な理論ですが、そんな仮説を展開してみたくなり、思わず書いてしまった次第です。