2021/08/23

思い立ったが吉日。で始める

 

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現在執筆中の小説のリサーチのために、今度は「電波少年」という二十年前のテレビ番組を観ています。

番組の放送当時に若者であった年代なら、まず誰もが知っている伝説的番組で、絶頂時の視聴率は30%を超えるほどの人気ぶりでした。とくにヒッチハイクの旅企画は当時の若者に大きな影響を与え、友達の高三の兄貴などは、卒業記念に東京から地元までヒッチハイクで帰ってくる。という馬鹿げた卒業旅行を敢行していました。

自分の記憶が確かならば、当時の若者たちの間で番組を模倣したヒッチハイクが横行し、それが原因で痛ましい事件が起こったこともありました。そしてヒッチハイク行為はいつしか社会問題にまで発展し、ついに企画の消滅へと追い込まれてしまった。という経緯があったはずです。

他にも「アポなしで大統領に会いにいく」とか、「エイズ撲滅のためにLAの娼婦を更生させる」など、本当にめちゃくちゃな企画ばかり。当時若手だった出川哲朗がマフィアに誘拐される場面などはもう、臨場感がありすぎて怖いです。

毎回視聴者から番組へクレームが殺到し、また前述のように放送した企画が社会問題にまで発展するなど、良い意味でも悪い意味でも、当時の若者たちに絶大な影響力を与えていた番組だったと記憶しています。

 

 

電波少年を観ていると度々、こう思わされます。

”人生行き当たりばったりでも別にいいんじゃないか?”と。

たしかにやっていることはバカバカしいし、あまりに無鉄砲で無計画で、しかも周りの人に迷惑ばかりかけて、もはや社会への悪害でしかないようにも思えるのですが、それでも時々心を動かされる瞬間があります。

社会人として成熟してくると、どうしても無計画に事を始めることができなくなってきます。リスクを最大限に軽減しなければいけない。よほど見通しが確実でなければ事を起こしてはいけない。という感じで。

それは会社組織で働く身としては仕方ないと思うのですが、自分の人生についても同様な計画性を求めすぎると、結局のところ何もできないまま終わってしまうことも多いのではないか。と個人的には思います。

とくに未来への見通しがまったくつかない昨今のような状態では、計画を立てようにも立てられません。この先どうなるか、なんて誰にも分からないので。

分からないから計画が立てられない。だから何もできない。では、後々になって後悔するハメになるのでは。という気がしてなりません。

”とりあえずやっておけばよかった”と。

 

計画を立てることは大事だと思うけど、今は計画を立てようがありません。

だから、たとえ行き当たりばったりになったとしても、「思い立ったが吉日」で事を始めるしかないのではないか。と僕は思います。

もしもそれでケガをしたとしても、やらないままで後悔するよりはきっとマシだと思うので。

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