2022/01/18

情景描写の心の「起源」はどこにあるのか?

 

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〝情景描写〟

あらゆるジャンルの小説において、当然の如く求められる要素。いかに短い物語であっても、また平易な文章で綴った小説であっても、情景描写なしに小説を書くことは、極めて困難である気がする。ト書き(登場人物のセリフ)だけでは、その小説の世界観を演出することが難しいから。

だから作家にはその素養が求められる。いかに本の著者から類稀なる創造力を感じようが、見事な構成力に舌を巻こうが、読んでいく過程で情景描写がまったくなされていないと、読む側としては、頭の中で物語を想像するのが難しい。舞台となる地の景色、事が起こった場所の様子、そして登場人物たちの出立ちや表情。それらを文字で読み取ると同時に頭に思い描くことで、読み手は思い思いの物語に浸る。情景描写はそのために必要な情報となる。

けれども今日ふと、思いました。情景描写って、実のところ何を指しているのだろうか? と。

漠然とした認識はありました。風景や場所、それらのおおよその解説をすること。あと登場人物たちの説明。事細かくするとくどくなるので、容姿の目立った特徴や性格的な特質、それに人間性など。いわば「環境」と「人物」の情報を述べることだと、そんな具合でなんとなく捉えていました。情景という言葉と、自分がこれまでに読んできた小説と照らし合わせて考えて。

実際、気になって「情景描写」という語句をネットの辞典で引いてみたところ、こんな説明がなされていました

〝小説などにおいて、物語の特定のシーンの光景や有様などに関する記述のこと(「weblio辞書」より引用)〟

なるほどやはり、自分の認識はそこまでズレていなかったらしい。情景描写ってそういうことだよなあ。どことなくガッカリする気持ちを覚えながらも、小さく胸を撫で下ろしました。

しかしそこでさらなる疑問が沸いてきました。情景描写の「情景」って、一体何を指しているんだろう?

やはり環境と人物に関する情報を指しているのだろうか。どうにも気になって気持ちが悪い。そこで、続けて「情景」という語句を引いてみたところ、自分の解釈とは若干異なった説明がなされていました。

〝心にある感じを起こさせる光景や場面(goo辞書より)〟

単なる光景や場面にとどまらず、頭に『心にある感じを起こさせる』という条件が付されていました。つまりは環境と人物の情報をただ示すことではないということ。

では、ここで言及している『心にある感じを起こさせる』というのは、誰の心を指していいるのでしょうか? などと意味ありげに引っ張る文章は嫌いなのでちゃっちゃっか述べます。当然、それは読者を指しているに決まっています。「起こさせる」対象は読者しかいません。

そう、そんな話だったなら、わざわざブログに書くようなことでもありません。ここまでは分かり切った話。

重要なのは、読者に対して「心にある感じを起こさせる」、その心の”起源”はどこにあるのか? ということです。

読者の想像力を刺激するためには、魅力的な文章、あるいは分かりやすい文章が求められるのは言わずもがなです。豊かな語彙力を駆使した美しい光景を誘発する文章。そういった技術面の話ではなく、読者が思い描くその〝景〟に付される〝情〟とは、「誰が感じた情なのか?」ということです。

この誰が、について、自分はずっと「作家自身」だと思っていました。物語を書いている作家が、自身の頭で思い描いた光景について感じている気持ちを、文章によって表現するのだと、ずっとそう思っていました。あるいは小説家を志す多くの人がそう感じているかもしれません。

しかし今日、情景という語句の意味を真に考えるに至って、それは間違いなのだと気づかされました。

作家ではありません。『登場人物』なのです。

物語の登場人物が、その場面で目にしている光景や巻き起こっている出来事、そして相対している人物に対して感じている気持ちや想いを、作家が「その者に成りきって」想像した上で、文章に書き起こすこと。それこそが情景描写なのだと、ようやくその語句の意図するところが分かりました。書くべきは作家の主観だけど、ある意味では作家の主観ではないのです。

 

昨日に引き続き、今回の気づきはとても重要な意味を孕んでいると、自分は確信しています。なぜなら今回の気づきは、小説を書くうえでの『姿勢』にあたるからです。

執筆の姿勢がズレているとすべてがズレてくる。逆にいえば、それが合ってくれば、良い小説を生み出す姿勢に近づいていることを示唆しているからです。

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