2021/08/23
戦争が起きる要素「大義名分」
テーマ:戦争
世界的な戦争が起こったきっかけを追っていくと、
そこには共通する一つの要素が浮かび上がってくる。
”報復行為”
多くの場合、戦争は、相手国に対する報復行為として始まる。
例えば、今なお続く中東における戦争は、
アメリカ主導の連合国によるアフガニスタン侵攻が開戦の合図となった。
(対テロ戦争)
で、どうしてアフガニスタンを侵攻したかといえば、
その前月にあの9.11同時多発テロが起こったからだ。
あの一件以来、アメリカは世界に対して「テロの脅威」を声高に訴えた。
またアメリカ国内では、
「打倒アルカイダ!」
という目的のもとに国民の意識が統一されたらしい。
”絶対にアイツらを許してはいけない”
そうしてテロの根絶を大義名分として戦争が始まるというのは、とても自然な流れだと思う。
そう、本当に飛行機がテロ行為として突っ込んできたのならば・・
日本とアメリカの太平洋戦争は、
日本軍による真珠湾攻撃が開戦の合図となった。
和平交渉を不可と判断した日本軍は、
ハワイの真珠湾に留置していたアメリカ艦隊に奇襲をかけた。
時刻は夜明け、日付は日曜日、
日本側が通達した宣戦布告はアメリカ側に遅れて届いた。
その結果、アメリカにとってこの奇襲は、卑劣極まりない行為だと認識された。
そうしてアメリカ国民の意識は、
「リメンバー、パール・ハーバー!」
というスローガンのもとに統一され、
ミッドウェー海戦を皮切りにアメリカの猛反撃が始まった。
この一連の戦争の結末は、ここ最近、
連日のように報道番組やネットニュースなどで啓発されている通りだ。
相手に対する報復行為として戦争を始めるというのは、
きっと諸外国からも理解を得やすいだろう。
「そっか、そっか、それならしょうがないよね・・」
敵国による侵略の脅威が自国に迫っているのだから、
もう交渉なんて流暢な話をしている場合ではなく、
一刻も早く攻撃を仕掛かけて潰すしかない、というのはもっともらしい理屈だ。
やっぱり世論を味方につけて戦争を始めなければ、
後の歴史でどう非難されるかわかったもんじゃないし。
また、自国の国民に対しても、攻撃開始の同意を得やすいと思う。
自分たちの街が戦火に覆われるのは誰もが嫌だからだ。
さらに「同胞たちが理不尽に殺された」という、
国民一人一人の闘争心を奮い立たせるというおまけまでついてくる。
「他国」「世論」「国民」
これら”三方良し”の戦争をするためには、
攻撃を開始するにあたっての大義名分は必須の要素なのかもしれない。
ちなみに、湾岸戦争の開戦のきっかけは、
15才の少女が出産した新生児をイラク軍兵士がぞんざいに扱い死に至らしめた、
という報道で世論がイラク攻撃支持に傾いたことだった。
当時、ナイラという少女が、
テレビカメラに向かって泣きながらこの件を訴えたことにより、
アメリカ国民の感情は反イラクへと一挙に振れていったらしい。
ところがその数年後、
この映像は完全なる捏造であったことが発覚している。
この件は「ナイラ証言」として、
アメリカ国民に対する戦争のPR行為であったことが公式に発表された。
つまり、すべて”やらせ”だったのだ。
一人の少女の悲劇を、湾岸戦争開戦のために利用していたわけだ。
思えば、9.11同時多発テロについても、
”アメリカによるやらせではないか?”
という話がしきりに世間で囁かれている。
真珠湾戦争についても同様だ。
日本の宣戦布告が遅れようが遅れまいが、
アメリカは事前に攻撃開始の時刻を知っていたのではないか?
ということが戦時中からずっと言われていたそうだ。
その証拠に、日本軍が本来標的としていた空母数隻は、
それまでずっとハワイに滞在していたはずなのに、
攻撃を開始した時にはなぜか真珠湾から忽然と姿を消していた。
それら主力艦隊は、いつの間にか、移動させられていたのだ。
映画:トラトラトラの劇中でも、
「ルーズベルトは開戦のきっかけを待っている」
というシーンがあるのは有名な話。
・・まあ、こんな話をしだすと陰謀論のようになってしまうのでこれくらいに。
それらが真実なのかどうかは僕たちにはわからないけれど、
何度も同じパターンが繰り返されているのを見てしまうと、
もはや最初からシナリオに組み込まれていたのではないかと思えてしまう。
いずれにしても、戦争を始めるにあたっては、
相手に攻撃をするための大義名分が必要であることは間違いない。
報復行為は戦争の常套手段、そこに開戦のきっかけがある。
そのことを理解したうえでニュースを見ていると、
世界で起きている妙な出来事に対する見る目も変わってくる。
どうしてあの国の船はやたらと日本の領海内に侵入してくるのだろう?
どうして小規模の爆撃が起こるのだろう?
どうして特定の製品を使用中止にするのだろう?
それらはもしかすると、ある種の挑発行為なのかもしれない。
挑発に乗った相手が仕掛けてくるのを狙って、あえてやっているのかもしれない。
そう、「大義名分」を作り出すために・・
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