2021/08/23

戦争は決して無くならない

 

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テーマ:戦争

 

例えば、あなたの好きなタレントを、
「あんなしょうもない奴のどこがいいんだよ」
などと侮辱されたらどう思うだろうか?

好きな映画を「あんなのクソ映画だ」と言われたら?
好きな音楽を「あれはアホが聞く音楽だ」と言われたら?

きっと誰もがムッとするだろうし、
言われた相手に対して敵意を感じるかもしれない。

自分の好みを他人にとやかく言われる筋合いはない。

趣味嗜好は個人の自由じゃないか。

けれども、趣味嗜好はそうであっても、
各々のもつ「価値観」はそういうわけにはいかない。

なぜなら何かを「正しい」と主張することは、
同時に何かを「間違っている」と主張することになるからだ。

 

 

人にはそれぞれ大切にしている価値観がある。

そしてその価値観に対する思い入れが強くなってくると、
強烈な「信念」となってその人物の生き方に影響を与えるようになる。

例えば、宗教などがまさにそうだ。

熱心な信者になればなるほど、
より忠実に入信する宗教の教義を守ろうとする。

仕事上でもそうだろうし、家庭においても同様だろう。

自分一人でその信仰心を体現しているうちは何ら問題はない。

けれど僕たちは一人で生きているわけではないので、
自分の行動が他人にも影響を与える場面が必ず出てくる。

例えば、熱心な仏教徒の中には菜食主義を貫く人がいる。

修行中のお坊さんが肉を口にしないように、
自身も日常生活において肉食を一切断つのだ。

そんな人物が家庭に一人いたならば、
当然、食卓には常に野菜ばかりが並ぶ。

信仰心のない者からしたらたまったもんじゃないだろう。

下手をすれば離婚に発展するほどの問題だ。

このように、信念は僕たちの生き方に影響を及ぼし、
必然的に他人との関係にも影響を及ぼすようになる。

信仰心が暴走しすぎたあまりに、
他人に自分の価値観を押しつける人物なんかも出てくる。

こっちが断っているのに、
何度もしつこく勧誘してくる信者などがまさにそうだ。

その強引な行動さえも「正義」と信じてやまないのだろう・・

 

 

宗教への盲信は時に人を狂気に変える。

この世に存在する宗教に何一つとして同じものはない。

それぞれの教義は違っているし、
それぞれの定義する神の存在は違っている。

だからある宗教にとっては正しいことが、
ある宗教にとっては間違っていることになる。

その信者同士がお互いの正当性を主張し合えば、
当然、争いに発展することは避けられない。

なぜなら、信念とは、その人の生き方にまで影響を与えるものだからだ。

それほど重要な事柄を「はい、そうですか」と簡単に譲るはずがない。

もう何百年以上も戦争の絶えない中東における戦争も、
元はといえば宗教戦争に端を発している。

だって、それぞれの「聖地」が同じなんだもの。

そりゃあ揉めるに決まっているさ・・

そう、だからこそ、戦争は決して無くならない。

なぜなら人々の心の拠り所である宗教は、
潰そうが、弾圧しようが、決して無くなることはなかったのだから。

 

しかし逆を言えば、僕たちにとって宗教が必要でなくなった時に、
もしかするとこの世界から戦争が無くなるのかもしれない・・

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