2021/08/23
手作りのポテトフライがこんなに美味しいという幸せ
妻がポテトフライを揚げてくれました。
揚げてくれた、とはいっても、あくまで自分が食べたいがゆえに思い立ったことであって、たまたまそのタイミングで顔を出したがために「あなたも食べる?」の言葉が口をついて出た、という感じです。つまりは、今日はたまたま妻の衝動にあやかることができた次第です。執筆中の夫は放置しておく主義の妻ですので。
ポテトサラダにジャーマンポテトと、じゃがいもを使った料理に目がない僕ですが、今日いただいたポテトフライほどじゃがいもの旨みを率直に感じられる料理はないのではないか、とあらためて感じました。もちろん妻の料理の腕が良いのは間違いないとして、じゃがいもの特徴である「香り」と「ホクホク感」をもっとも堪能できるのがこのポテトフライである。と、じゃがいも党の僕はここで断言したい。
ただし「手作り」であることと「作りたて」であることが前提。
ファーストフードのサイドメニューや冷凍食品に代表されるように、一般的には、ポテトフライといえばジャンクフードのイメージが強いかと思います。しかしそれらは論外。正確なところは分からないものの、あらゆる添加物をまとったそれは、本来のじゃがいもとは一線を画します。あれはあれで美味しいのですが。
・・と、なにを長々と熱弁を奮っているのかという感じですが、久しぶりに「大地の恵み」に心を震わされました。
根菜であるじゃがいもは、地上の葉が日光、雨を浴び、吸収された養分が送られて、地中にいくつも根を張るようにして育ちます。その根(正確には茎)にはデンプンがぎっしりと詰まっていて、まさに栄養の塊を抱えたまま収穫の時を迎える。それこそが、じゃがいもという大地の恵みです。
ほとんど素揚げにして口に放り込むと、口の中に広がる香りとともに、育ってきた様子が情景として思い浮かびます。それを「土くさい」と表現する人もいるけれど、僕にとっては大地の香り。じゃがいもの味というよりも、それを感じられることが至高の喜びであり、自分がじゃがいも党である所以です。
そのようにして伴う実感に、時々心を震わせながら生活をしています。
幸せって、自ら実感しようとしなければ、どうにも味わえないような気がするからです。
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