持続可能な作家活動

 

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妻が「サスティナブルってどういう意味?」と聞いてきたので、ドヤ顔で「持続可能な〜」と答えた夫。まさにググリたてほやほやの新語だったのでした。とはいえ、サスティナブル成長率という金融用語くらいは聞いたことがあったけど。

作家になることと作家であり続けることは似て非なるものである、と近頃は思うようになりました。それはサスティナブルという昨今の用語に感化されたわけではなく、先日訪問した鰻屋の店主の姿勢を見て、そう思った次第です。やはり続けることの凄さ、そして偉大さは、そこに刻まれた年輪の多さに比例するのではなかろうか。

自身の執筆活動の〝サスティナブル〟を考えた時、必要なのはマラソンを走る心積もりでいること、ではないかと思いました。短期的ではなく長期的に考えること。つまりは、「走り続けられる走り方をしよう」ということです。

その結果いま、一日の執筆時間を減らしています。以前よりも3、4時間ほどパソコンと向き合う時間が少ないです。

派遣の仕事を辞めたのが去年の9月末。それから1年間、執筆することと向き合ってみて、長時間原稿の前に居座ること=自己満足、であることに徐々に気がついてきました。長く座っていることで〝全力を尽くした感〟が生まれしまうのだ、と。

人間の集中力はそんなにも続かない。少なくとも自分の場合は、8時間以上もピークの集中力を維持することなどできません。こうした創造を伴う活動に関しては。

たしかに考え続けることはできる。けれども、もはや6時間を過ぎたあたりから、ただいたずらに時が過ぎているだけのような感じがする。すでにへばっていて、ただ歩いて進んでいるだけのような、そんな感覚。ほとんど原稿は進んでいない。

それだったらば、短い時間で一気に集中して書く方が、ずっと能率が良いような気がします。費やすエネルギーとそれによって得られるリターンを考えた場合に。体への負担を考えた場合も、そう。無理やり原稿の前に居座り続けていると、段々と苦行のような感じになってきます。それがある種の達成感を生み出すのですが、そんなのは単なる自己満足でしかないだろうと思います。いたずらに体をいじめても執筆の辛さが増すだけ。

執筆の時間が減ったことで、日々「もっと書きたいのに⋯⋯」という思いを抱くようになりました。なんだか手を抜いてしまっているような、全力を出し尽くしていないような、そんな罪悪感がこの胸に溢れて苦しい。けれども、だからこそ、その限られた時間を有意義にしなければ、という集中力が生まれるような気がしています。それが己の執筆欲を掻き立てるのではないか、と。

何が正解なのかは分かりません。8時間睡眠の失敗しかり、ひたすらトライ&エラーの繰り返しです。とにかく試してみて、また続けてみないことには分からない。

これからも一生続く孤独な戦い。持続可能な作家活動のためには、自分でそのスタイルを確立するしかないのだろうと思っています。

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