探す手を止めない限り、必ず見つかる

 

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うぅ頭が痛い。数日間、映像をぶっ続けて見ていたために、脳みそが覚醒して睡眠不調に。昼夜逆転を通り越してもはや昼と夜とが曖昧。今日がいつだか、何曜日だか、よくわかりません。まずは生活リズムを取り戻さないと。

しかしこのリサーチのために見続けた映像、まったくひょんなきっかけから発見できたものでした。いや、発見した、などと言うと、自分の力で探し当てたかのように聞こえるので、正確には「提案された」という方が確実かも。そう、YouTubeの関連動画にたまたま表示された一つの動画が、深堀りをするきっかけとなったのです。ハッキリ言って偶然見つかったようなものです。

こういったことはよくあります。というか、こういったことしかありません。

自分の中で「違うなあ」という思いがあるうちは執筆を進める気にはなりません。その状態でも書き進めることは可能なのですが、できあがった文章からは「何かが足りない」という思いが拭えません。それはリアリティやストーリー性もさることながら、文章から滲み出てくる「何か」。つまりは、作者自身の〝情熱〟がそこにこもっていないのだと思います。そういった作品は、悪くはないけれどもう一度読みたいという気持ちにはならない、という結果を生むのではないかと思います。

だから「これだ」というものを見つけるまでは絶対に書き上げない。見つかるまで探し続ける。それを繰り返して今日まで原稿を積み上げてきました。

探そう、といったところで、何のアテもありませんでした。果たしてどこを探したらいいのか、何を見つけたらいいのか、その目標物も地図さえも無い。まったく八方塞がりの状態から、自分のリサーチは始まります。

こういった場合、該当部分を取材してネタを仕入れるのが、一般的な執筆作業の流れなのだろうと思います(詳しくは知らないけど)。離婚調査について知りたいなら探偵事務所に、裁判のことを知りたいなら弁護士に、といった具合で。お金と時間があればそれは可能だけど、個人出版でそんなことは到底無理。だから図書館やネット上からその素材を自分で集めてくるしかない。

けれども多くのケースがそうであるように、ネット上のサイトを見て集めた知識など、上っ面で浅はかで、到底深みはない。体裁を繕うためにはいいだろうけど、そんなもので理論武装したところで、読者はごまかせない。感心はさせられても、感動を与えることは決してできない。

必要なのは物事の『本質』。本質はシンプルで分かりやすく、何より説得力がある。それが作品に深みを生み出し、また読んだ者に対する納得を与えるのだと思う。

その本質とは一体どこにあるのか? それは、探し始めた時はまったく分からない。見当もつかない。それらしいところを探してみても、上っ面の知識しか出てこない。本質とはかけ離れたものばかりしか見つからない。

けれども、そこで諦めない。見つからなくてもいいからとにかく奥へ奥へと掘り進める。真っ暗な洞窟を前へ前へと歩み続ける。

そうすると、ふいに横穴が出現する。「何これ? こんなとこにあるのかな?」疑念が生じるが、とにかく進んでみる。すると思いもかけないところからきっかけはやってくる。多くの場合、本質は、誰もが考えるのとは別のところに隠れている。

最初から本質にたどり着くことはできない。けれども、洞窟の浅いところから、上っ面なところから掘り進めていけば、必ずいつか重要な部分にたどり着ける。僕は、そのことを信じていつもリサーチを始めます。そして見つからなかったこともこれまで一度もありません。必ず成果を手にして現実へと戻ってきました。

探す手を止めない限り、宝物は必ず見つかる。

この信念が、自身の「売れっ子作家になる」という自信を支えてくれています。

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