揺るぎない羅針盤を獲得するために

 

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寒い日が続きますね。

昨日まで、羽毛布団さえあれば夜は越えらえるだろうと高を括っていたのですが、いよいよ日中の風が「寒い」から「冷たい」へと変わったのを感じ、ついに〝あったか敷きパッド〟とのサンドイッチで睡眠中の体を暖めています。寒くて寝れない、なんて思ったのは初めてかもしれない。足に霜焼けができたのにはちょっとした危機を覚えました。

面白い小説を書くために何が必要なのか?──少しずつ、少しずつ近づいてきたように感じます。その「要素」を理解するところまで。

原稿の執筆を進めながら漠然と感じていました。これは、実力の問題だけではなく、そもそも理解が足りていないのではないか、と。思いつく・つかない以前に、「何を書かなければいけないのか?」を分かっていないのだろう。もしくはその自身の認識が間違っているのだろう、と。

それらしい答えを見つける方法は言わずもがな知っています。この時代、ググれば疑問は即座に解決する。冒頭の霜焼け問題のように、検索にかければ「患部をお湯と冷水に交互に浸す」という民間療法の知識なんかも簡単に得られます。しかも無料の情報ゆえに大した効果は見込めないだろうと思いきや、試してみるとその効果は抜群。あんなに悩まされていた足先の冷えがすっかり消えてしまうのだから、出自の不明瞭なネットの情報といえども侮れません。

インターネット黎明期は無責任でいい加減な情報ばかりが並んでいたのかもしれませんが、もはや情報自体に、というか単なる情報には大して価値がなくなった今では、真に効果のある有力な情報さえも検索で手に入ってしまう。「小説の書き方」なんてのも、もちろんその例外ではありません。

しかし、それじゃあダメなのです。

上っ面な知識、表面的な理解では、絶対に辿り着けない。少なくとも、自分はそう思います。

必要な知識というのは、実は、そんなに多くないのではなかろうかと思う。自分もおそらく必要分8割程度は身についているはず。これ以上知識ばかり求めても、きっと頭でっかちな小説家になってしまう。やたらと色々知ってはいるけど結果は出せない。典型的なノウハウコレクターになってしまいそうな予感がひしひしと。

知識は大して必要ない。けれども、『理解』はかなり深いところまで求められる。そんなことを肌感覚でいま得ています。

真の理解というのは、他人からは決して得られないと考えています。なぜなら、他人から与えられたものは、やはり「知識」だからです。どれほど達観した答えを手にできたとしても、自ら導き出した答えでなければ、決して自分の身にはならない。表面を美しく魅せる飾り付けでしかない。

自分の経験上、真の理解はまるで深層から沸き上がってくるように獲得されます。「これだ!」と思わず叫んでしまうような、圧倒的な納得感。絶対に間違いないと確信できる、容易にはブレない、確固たるもの。いわば絶えず北を指し示すコンパスを手にしたような感覚に近いです。そいつに従っていれば道に迷うことはないという絶対的な指針。

こればっかりは自分で辿り着くしかない。名だたる先人たちが教えてくれている市場の「答え」。流通する〝売れている本〟をひたすら分析して、じゃんじゃん盗み取り、自分なりの解釈を加える。そうやって築き上げた理解こそが、揺るぎない羅針盤となって向かうべき方向を教えてくれるはず。そう信じています。

このプロセスだけは、自分で完遂させなければいけない。

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