2020/10/19

新テーマ「カルマ(業)」

 

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また偉そうにアレコレ語っていこうと思う。

「昔の人は上手いこと言ったものだ」などと人は言う。

”仏の顔も三度まで”
”親しき仲にも礼儀あり”
”石の上にも三年”

たしかにこのようなことわざは、
社会生活のあらゆる場面で役に立つ。

何かに悩んで行き詰まった時には、
これらの言葉が解決を示してくれることもよくある。

まるで昔の人たちは物事の真理を理解していたかのようだ。

そして先人の言葉の中に、
「人にしたことはいつか自分に返ってくる」というものがある。

自分が他人にしたことは、
良いことも悪いことも含めて必ず後で自分に返ってくるのだから、
常にそのことを意識しながら人と接しなさい、という意味だ。

いわゆる”因果応報”の話。

要するに、これが『カルマ(業)』だ。

 

 

海外映画にはよくこんな場面がある。

登場人物が教会にある小さな箱型の部屋に入る。

箱の中は真ん中が壁で二つに区切られていて、
壁には小さな穴がいくつか空いている。

その人物が箱に入って少し待っていると、
そのうちに”シャッ”というカーテンを開ける音と共に、
神父さんが反対側の空間に入ってくる。

そして神父さんが、
「すべてを正直に告白しなさい」と言うと、
登場人物は涙を流しながら自分の罪を語り出す。

その後、話をすべて聞き終えた神父さんは、
最後に登場人物に対してこんな言葉をかける。

「イエスは全てをお許し下さいます」

その言葉を聞いた登場人物は涙を流し、
教会を出た時にはもう晴れ晴れした表情になっている。

つまりは自らの罪を認めて懺悔の気持ちをもったことにより、
晴れてその人物は罪の意識から解放されたということだ。
(あくまで”描写”の話)

そんな場面を観る度に僕はこう思った。

”謝っただけで罪が晴れるなんて随分と都合の良い話だな・・”

犯した罪に対して謝罪の気持ちをもつのは当然だと思う。

ただそれに対して何の償いもすることなく終わらせるというのは、
どうも僕にはしっくりこなかったのだ。

人を傷つけるのはそんなに簡単なことなのだろうか?

罪の意識とはそんな単純なものなのだろうか?

謝って済むなら警察はいらないだろう。

人を殺しておいて「ごめんなさい」で許されるなら、
殺された遺族の方はたまったもんじゃない。

そんなことで罪の意識が浄化されるというなら、
人の命なんていよいよ軽いものだという話になってくる。

罪の重さがどうとか、
刑務所に入るべきだとか、
社会的制裁なんてのはどうでもいい。

そういう法律的な償いではなく、
自分の人生においてそれ相応の償いをしなければ、
きっとその体験からは大したことは学べないだろうと思う。

その体験がもたらす”魂の学び”は、
永遠に忘れない記憶とは到底なりえないだろう。

 

今日からちょっとカルマ(業)について書いていこうと思う。

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