2021/08/23
新テーマ「中今を生きる」
あなたは「神道(しんどう)」を知っているだろうか?
柔軟な心で異国の文化を寛容に受け入れてきた僕たち日本人は、
正月は神社に初詣に行き、お盆はお寺に出向き、クリスマスには家族でケーキを食べる。
このうちの神社に行くのが神道信仰からくるものだ。
信仰というとすぐに宗教につなげて考えてしまうかもしれないけど、
神道は、宗教とはまったく別のものだ。
宗教の場合は一つの宗教・宗派を信仰し、
複数をあわせて信仰することはない。
けれど仏教と神道を同時に信仰したり、
あるいはキリスト教と神道を同時に信仰するのも全く問題がない。
それらはお互いに別のものであり、
とくに思想や理念が相反することもないからだ。
また宗教は、その宗教における「神」を信仰する。
例えばキリスト教ならイエス、仏教ならブッダ、
イスラム教ならアッラー、ユダヤ教ならヤハウェ、という具合だ。
そしてその宗教ごとに書かれた「教典」を頼りに、
それぞれのやり方で該当する神から教示を受ける。
対して神道には、教典の類などは一切なく、
特定の神も別に指定されていない。
自分が”ココだ”と思った神を信仰すればいいし、
自分に縁のある神社のお札を神棚に飾ればいい。
なぜなら神道は『八百万の神』に対する信仰心からくるものだからだ。
さらにもっと現代的なことを言えば、
神道への信仰心を示すのにお金は一切かからない。
指定の行事もなければ人の集まりもないし、
どの神社にいつのタイミングで行ってもいい。
宗教のような細かい決め事などは一切設けられていない。
それはきっと、昔から人の心に神道心が当たり前に根付いていたからなのだと思う。
今よりももっと人々の生活に密着したものだったのだろう。
簡単な話だ。
あなたが神の存在を信じたその瞬間から、
神道信仰が始まるということだ。
神道にはこんな考え方がある。
『中今(なかいま)』
僕たちは輪廻転生を繰り返しながら生きている。
ということは、僕たちは今、
前世と来世の間の時間を生きているということになる。
死んだらまた新しい人生が始まり、
そしてその後も転生が繰り返されていく。
この命は終わるわけではなく、
これからも永遠に続いていくものなのだ。
ところが、その言葉を額面通りに受け取ると、
「どうせ死んでもまた次がある」
というふうに考えることもできてしまう。
まるでリセットボタンを押すように、
また消して最初からやり直せばいい
などと考えることもできてしまう。
だけどそんな生き方をしていては何も学べない。
先のことばかり考えて生きていては、
いま目の前に起きている出来事が疎かになってしまう。
・・そう、大切なのは『今この瞬間』なのだ。
たとえ輪廻転生をしてまた違う人生がやってくるとしても、
僕たちにとって一番重要なのは今目の前で起きている出来事。
人生は形を変えて何度も体験することができるけれど、
今目の前で起きている出来事はもう二度と体験することができないのだ。
明日から、「中今を生きる」についてちょっと書いていこうと思う。
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