明日から中途放棄を頻発させるかもしれません
久しぶりにブログを綴ります。
自身初めての小説の執筆に悪戦苦闘しつつ、神経をすり減らすような毎日に疲弊しながらも、なんとか中編の完成にまでこぎつけました。まだまだ作品として提供できる域には達していませんが、物語を創作する力が自分にはあるのだと、それを確認できたことにひとまず安心しています。
小説を書こう、と思い立った2年半前、たぶんイケるだろうと原稿を書き始めてみるや、まさかの物語中盤にて「これ以上思いつかない」という事態に直面しました。キーボードに乗った指が固まったようにうんともすんともいわなくなったのです。「書けない」というその感覚は、直感的であると同時に絶対的なもので、自身に何がしかの〝不足〟があることをおのずと自覚させました。それは才能や能力というよりも「情報量」の問題であることもほとんど確信的にわかっていました。ですので、正確には「まだ書けない」という状態にあったという方が正しいです。
あれから一年半、相当な量の作品に触れ、それらの分析に励み、ようやっと自分なりの知識体系を築きあげることができた気がします。分析は推理小説畑に始まり、サスペンス、ホラー、SF、ファンタジーなどの娯楽小説から、フランスやロシア文学などの翻訳小説、写実主義や自然主義、実存主義や耽美主義といった文学の庭まで踏み込んだ、文芸という文化を横断的に観察するものでした。文学少女、少年が生涯で触れるであろう作品数に短期間で一気に触れた感じです。そうすることで知識面と技術面を補填し、そして小説創作に要求される着想を得るための〝最低限の情報量〟を充足させました。考えてみれば、ゼロから物語を創作しようなど無謀でしかなく、またとっくに出し尽くされた状態にある現代においては遠回り以外の何物でもないため、これまであまり小説に触れてこなかった自分にとっては避けられない回り道であったと思っています。これを経てようやく「小説が生まれる土壌」が自身に形成されたのではないかと自己分析しています。
はたから見れば遠回りだとしか思えないであろう回り道を経て、自分は『純文学』の小説を書くべきであるという結論に達しました。またそれが個人出版という方法で「売れっ子作家」になるための最もベストな選択であるという確信に至りました。むしろそれ以外の小説では(今のところ)売れるという状態にまで行き着くのは相当難しいのではないかと考えています。これはあくまで個人的な考えではありますが、私の中では確信しています。それほどのリサーチをこの一年半でこなしてきたと自負しています。このあたりはまた別の機会に、いえ、実際に売れてからアレコレと講釈を垂れたいと思っています。
小説執筆に臨むにあたって、最大の問題は「作風」でした。
私が分析において触れた作品はどれもこれも素晴らしいものばかりでした。古典的な作品であってもまったく遜色なく読み進められる作品ばかりで、どの作家諸氏からも学ばせていただく一方でした。今の自分の文体があるのは間違いなく、あるドイツ人作家のおかげです。そういった技術面だけでなしに、文芸における表現を追求していくためにも、やはり小説を執筆するにあたって過去の作品に触れることは必修であると個人的に感じました。
ただし、作品として秀逸であることと、売れる本であることとはまったく意味が異なるのではないかと思います。優れた作品がそのまま売れる作品とはならない、それは小説に限らずすべての業界においていえることで、両者のあいだには決して埋まることのない大きな溝が、また断じて埋める必要のない大きな溝が存在しています。それは改善すべき理不尽ではなく、起こって然るべき自然現象みたいなもので、「どうすべきなのか?」なんて議論に生産性はなく、そういった現象があることをただ認識していればそれでいいものだと個人的には思っています。あとは「自分がどうしたいのか?」という創作家個人の問題だと思いますので。
私の場合は『売れっ子作家』と現時点から名乗っているほどで、ハナから売れっ子にしかなるつもりはなく、つまりは売れる小説を書くという志しか持ち合わせていません。むしろ売れないのだったら小説など書きたくはありません。こんな寿命を縮めるような苦役を課されて「売れないのだったらそれも仕方がない」だなんてことは口が裂けても言えません。生来から嘘をつけない人間でして、それが自身の冠に表れてしまっています。なんと自意識の過剰な作家だことか、と思われるかもしれませんが、それくらいの気概がないと応援してくれる人に申し訳が立たないと私は思っています。
なんだか冗長になってしまいました。小説を書き出すとこういう迂遠な言い回しをする癖がついてしまってダメですね。しばらくはダラダラと読み辛いブログになってしまうかもしれません、悪しからず。
端的に言いますと、最後の最後でようやく出会えました。「これは売れる」と確信させる作品を上梓している作家さんです。
初めて、デビュー作から最新作まですべての作品を購読させていただきました。一年半を通じてそうした作家さんはこのお一人だけです。都合50名以上の作家さんの作品に触れてきて、私がようやく確信を得た『楔(くさび)』的な存在でした。この作風こそが個人出版で出版業界に小さな風穴を開けることができるであろうと、そう感じることができました。本当に分析の最後の最後で出会った作家さんで、私としては奇跡だと思っています。これほど感覚も感性も似ていると思える作家さんは他にいません。もはや絶対的な信頼を置きその珠玉の発想力を全面吸収する所存です。
あとの問題は、「自分の作風を確立することができるか?」そして「読者を引き込める域にまで表現を昇華することができるか?」といったところだと自分では見ています。この両者がクリアできればいよいよ出版できるのではないかと。校正の問題もありますがそれはどのみち努力と時間が解決してくれるでしょう。
上記をクリアするためには『表現の探求』をしなければいけません。創作を突き詰めなければいけません。
漫画などでそんな場面があるように、原稿を書いては「ああ違う」「これも違う」「そうじゃない」「これじゃダメだ」といってクシャクシャに丸めて捨てる作業が必要になります。オンライン上なら書きかけの物語を「辞めた!」と途中で放棄する作業になります。
明日からそんな途中放棄を頻発するかもしれませんが、それは表現を突き詰めるために必要な作業であると、そのように解釈していただければと思います。せっかく興味をもって読んでいたのに勝手に辞めるなよ、と、期待を裏切れられたような気持ちにさせるかもしれませんが、こればっかりは処女作を上梓するために避けては通れない作業なのだと、ご理解をいただければと思います。
必ず、やり遂げます。この空の下にこんな人間がいるんだ、と、面白く見ていただければ幸いです。
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