暗い文体こそが作家・大矢慎吾の色

 

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どうしようもなく眠い。疲れが取れきっていないからか。

朝方の気温が高いとどうしても睡眠の質が悪くなる。

冷房をずっとつけっぱなしにするわけにはいかず、茹だるような熱気に無理やり目を覚まされるために、本来得られたはずの睡眠効果が奪われてしまう。そこにハードワークが重なると床に就く時刻も遅くなり、段々と睡眠時間そのものも減っていく。そして疲れの抜けない体でさらなるハードワーク、睡眠時間の減少、無理やり起こされて疲れはさらに蓄積⋯⋯まさに悪循環である。

今日は気温の低下のおかげか、わりとぐっすりと、そして長い時間寝ていられた。それでもまだ眠い。小説を読んでも集中力が続かない。こういった兆候は体から信号が発せられている証。「休みなさい」。私にとって睡眠の質は人生の質を直接に左右する事柄。疎かにするのは人生そのものを疎かにするようなもの。常に気を配っていないといけない。それが36歳からの私の命題である。

私は体調や精神状態がわかりやすく文章に現れるタイプらしい。一つ一つのセンテンスが短くなるのがその特徴。淡々とした文になっていく。別にハードボイルドを意識してはいない。あまり頭で考えないまま書き綴るとこのような形になる。あるいはこれが自分のありのままの文体なのかもしれない。

そういえばある知人から以前、「暗い本ですね。読んでいてひたすら暗い気持ちになります」と評されたことがあった。

あるいはあれも一つの啓示だったのかもしれない。その方面に作家・大矢慎吾の特性があるのだ、という。暗い文体=大矢慎吾といったところか。

それを改善するために色々と試行錯誤してきたわけだけど、むしろ改善する必要などなかったのかもしれない。あのままの形を残しつつ、その方角に向かって足を進めていくことで、その先の景色が見えてくるのかも。そんな予感が今ふと頭をよぎった。ぼーっとしてるせいか。

無意識ってのはまこと不思議な存在。無意識から生ずる衝動の方があとで心にしっくりくるものが多い。「たしかにそれってオレっぽいな」。自分の思考なんだから当たり前のはずなのだが、頭で考えたこと、理性から生ずる考えよりも〝適合〟を感じることが多い。己の人間性とそれとを照合して考えてみると。

疲れている時は無心になれる。そういう時にこそありのままの自分がもつ色に気がつく。皮肉なものだな、一生懸命考えてやらない方が良いものが生み出せるだなんて。これまで必死に考えて考えてやってきたことは一体なんだったのだろうか。

あるいはそれも必要だったのか。間違いを知って正しいことが正しいのだと理解できる。とどのつまり遠回りを避けることはできないということか。

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