2021/08/23

本当にそれが重要なの?

 

この記事を書いている人 - WRITER -

これまで何度も言ってきたように、
「分かる事」と「出来る事」は全然違う。

だから、
”人が人を愛すれば争いは終わる”
ということが分かったところでそれは叶わない。

なぜなら頭では分かっていても、
やはり見ず知らずの他人を愛することはできないからだ。

こんな物騒な時代・・

どんな人間なのかもわからない相手に無償の愛を注ぐなんて、
それはキレイゴト以外の何物でもないだろう。

それに、たとえ相手のことがわかったとしても同じだ。

知れば知るほどイヤな奴だと思う相手だっているのだから・・

 

 

きっと、こういう葛藤を、
「だから争いが起こるのは仕方がないことなんだよ」
といって割り切れるのが大人なのだろう。

社会人として一人前になるということなのだろう。

要するに、
”世の中にはどうしようできないことがある”
という事実を受け入れること。

「そんなことにいちいちこだわってたら社会では生きていけないよ」

似たようなことを過去に言われたような気がする。

たしかに、その言葉は正しかったと思う。

疑問が生じる度に立ち止まって考えていたら仕事にならないし、
周りの人たちにも多大な迷惑をかける。

だから僕も頑張ってそれに適応してきたつもりだ。
(うまくできていたかどうかはわからないけど・・)

ただ、これだけ狂ったことが立て続けに起こっている今の世の中において、
この葛藤は、考える必要のない、どうでもいいことなのだろうか?

”立派な社会人になる”

それは、何よりも重要なことなのだろうか?

目の前の出来事に目を瞑り、耳を塞ぎ、心を殺し、ひたすら手を動かすことが、
果たして、僕たちの人生ににおいてもっとも重要なことなのだろうか・・?

 

 

僕たちはいつか死ぬ。

それはわかりかった事実。

けれど、それは明日ではないだろうと誰もが思っている。

たしかにほとんどの人がそうだろう。

ただ、今、世界中で、
これまでにないくらい人が死んでいる。

アメリカでは既に死者の数が第一次世界大戦を超えたらしい。

そんなレベルのことが、いま、世界中で起こっている。

しかも、”出来事”は、コロナだけではない。

それ以外にもあらゆる狂ったことがあちこちで起こっている。

コロナはこの狂気の一端でしかないのだ。

僕たちにそれらを止める力はないのかもしれない。

ただ、まずは『考え始める』ということが何よりも重要なのではないだろうか?

 

そう、立派な社会人になることなんかよりもずっと・・

この記事を書いている人 - WRITER -
 

Copyright© 売れっ子Kindle作家 大矢慎吾 , 2020 All Rights Reserved.