2021/08/23

根気なんてものは無いのでは?

 

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今日は「根気」について書こうと思う。

手前味噌な話だが、自分はとても根気強い人間だ。人からよく「ストイックだ」と評されるし、自分でも自分を「決して諦めない奴だ」と思っている。毎日記事を途切れることなく更新し続けていることがその証明になるだろうか。

しかし学生時代は真逆だった。なんでもすぐに諦める人間だった。

覚えているかぎり、最初に諦めたのは、赤ペン先生の通信講座だったと記憶している。定期購読のサービスで、毎月届く宿題をやって郵送すると、赤ペン先生なる進研ゼミ社が添削して送り返してくれる、というもの。調べてみたら今でも同サービスはあるらしい。

たしか、開封はしたと思う。けれど問題を見て即座にやる気を失い、以来一度も解くことなく本棚に積みあげた。都合4年分くらいは溜まっていたはず。まったく親に申し訳ないことをしたと反省している。

この赤ペン先生を皮切りに、

・夏休みの工作
・買ったプラモデル
・サッカー
・ギター
・スノーボード
・受験勉強
etc..

その後取り組んだすべての物事を、ただの一つも完遂することなく途中で辞めている。大阪に出てきた時も歌手になる夢をもっていたのだけど、クラブに行ってその厳しさを目の当たりし、一度も舞台に上がることなく夢を断念した。

両親曰く、「お前の言うことは何一つアテにならない」という息子像だったらしい。

そのため、実家を出てからの息子の様子を聞くと、毎回、本当に驚くそうだ。「あのいい加減なお前が3年も続けたのか・・」と。

それくらい根気のない人間だった。やたらとデカイ口を叩くくせにいざその場になったら何も行動しない。まったくもってダサい人間であった。

 

 

ある時ふと不思議に思った。どうして自分はこんなに変わったのだろうか、と。

親友が事故死した、お寺で数年修行した、生死の淵から蘇った、みたいなよくある”人生の転機”みたいなものがあったわけでもない。実家を飛び出して一人暮らしを始めた途端、突然降って湧いたように、根気強い自分が形成されていた。そのことに自覚はなかったのだが、冷静に振り返ってみると、やはり普通ではないだろうと思った。

それで、じっと考えてみたところ、とてもシンプルな事実に至った。

『自分がやりたいことしかやっていない』

自分を知る者のいない土地で暮らしたい、という最初の意思を皮切りに、その後は自分でやりたい道を探し、そして選択してきた。そこに他人から決められた道はなく、すべて、自分自身で決断した挑戦しか行っていなかったのだ。

だから考えてみれば、根気よく続けているのは当たり前かもしれない。なにせ自分からやりたいと言い出しのだから。

学生時代の挑戦を思い返してみると、最初の赤ペン先生なんかは、友達がやっているのを見てただなんとなく自分もやってみようと思っただけだった。

夏休みの工作は学校から課題として出されたものだった。プラモデルは流行っていただけで別に欲しくもなかった。サッカー選手に憧れなど微塵もなかった。ギターもスノーボードも別に大して興味などなかった。皆んながそうしていただけで、大学なんて、別に行きたくもなかった。

それらはすべて、皆んながやっていたチャレンジであって、自分発信でやろうと決めたものは何一つとしてなかった。

いわば、すべて”他人のチャレンジ”だったのだ。

歌手になろうとしていたのも、家を出ていく口実が欲しかっただけで、きっと大してやりたくもなかったのだろうと思う。友達の影響で抱いた夢だったし。

 

 

根気がある、根気強い、と言い表すけれど、そもそも根気なんてものは無いのではなかろうか。

自分が好きでやっていることを「頑張って続ける」なんてことはないのだから。

好きなカレーを毎日食べることに根気がいるだろうか。好きなゲームに没頭することに誰が根気など必要だと思うだろうか。

根気強い人間がいるのではない。

自分の進む道を他人に決めさせない『意思の強い』人間がいる。根気の実態はそうなのではないかと、僕は思う。

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