欲深い自分を認める方が健全

 

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陽のあたらない道を歩んでいれば自然と明るいところに目がいってしまうもので、たとえ畑違いの相手だとしても、華々しいスポットライトを浴びて燦然と輝く者を恨めしい目で見てしまうのは仕方がないことだし、むしろ良いことだと自分は思っています。それは自身もそうなりたいという向上心、あるいは目的意識がある、ということを意味しているはずなので。

嫉妬を抱くことを、自分は悪いことだとは思いません。むしろ嫉妬を抱いているという事実を認められないことの方がよくないと思っています。自分を欺くことはできませんし、自分にまで嘘をついていては、きっと得られるものも得られなくなってしまうと思うからです。自分が何を求めているのかは自分自身にしかわかり得ないはずだからです。

沸き上がる嫉妬心をごまかし、そんなものは求めていないと自分自身に嘘をつくのか、もしくは他人に嫉妬してしまうカッコ悪い自分を認めたうえで、その気持ちを生きる原動力に変えて明日から行動を起こすことができるか。大事なことは、嫉妬心を抱かない高尚な人間を目指すことよりも、弱い自分を認めたうえでそれを力に変えられるかどうか? だと自分は思っています。

世間的には下品に映るであろう低俗な欲望──周りからは自己中心的だと非難されてしまうようなこの先の自分の展望──おおいに抱いてしまえばいいではないか。公衆の面前で声高に宣言してしまえばいいではないか。

みっともなくていい。恥をかいてもいい。たとえ周りから馬鹿にされても、自分の人生史には傷一つ付くことはない。結果がどうあれ、その行動は自分の人生を尊ぶことを意味するのだから。

自分の気持ちをごまかし、蓋をして、見ないふりをしたまま生きていることの方が、よっぽど自分にとっては健全ではないだろうと思っています。

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