2021/08/23
生き方なんて、一つじゃない
テーマ:生活
「仕事をするのは生活のため」
「生活をするのは生きるため」
「じゃあ、生きるのは何のため・・?」
この疑問から始まった今回のテーマだけど、
朝起きて歯磨きをしている時にふと気がついた。
”世間でいう生活とは「生産・消費活動」を指しているのでは・・?”
モノ(コト)作りに関わる事、
子供を立派に育て上げる事、
その過程でお金と時間を消費していく事。
この一連の活動を「生活(生きる活動)」と呼んでいるのではないか、と。
もしもそうだと仮定すると、
「生活のために仕事をする」という構図にも納得がいく。
なぜなら、生産・消費活動をするには「お金」が必要だからだ。
生産・消費活動を行うには元手が要る
↓
だから僕たちは仕事をしなければいけない
という理屈になるのだろう。
ついさっき考えた内容だけど、
この考察はあながち間違ってはいないはずだ。
いや、むしろこれが、この話の本質だろう。
・・と、ここまで辿り着いたことによって、
自分がどうして仕事に行きたくないのかがハッキリとわかった。
「他人の生き方を勝手に決めんじゃねえ!」
人に何かを強制されるのが大嫌いな自分にとって、
自分の生き方を勝手に決められるのは勘弁ならない。
自分の生き方は、自分だけが定義することができるのだ。
僕たちの生き方は、一つじゃない。
ライフスタイルも仕事の仕方も多様化しているこの時代において、
全員の生き方を一つに定義付けするなんて無理がある。
もしも言い表すならば「十人十色」だろう。
もはや結婚は当たり前の進路ではないし、
ウチみたいに子供のいない夫婦も少なくはない。
今は性別を二つで考えることにも無理がある。
だから生き方なんて、他人がこうだと決められるはずがないのだ。
ある意味で冷たい言い方だけど、
生き方は、自分で生きながら決めていくしかない。
”幸福の定義”は、自分自身で見つけるしかないのだ。
型にはまった生産・消費活動が悪いと言いたいのではない。
それは、あくまで一つのスタイルに過ぎないということ。
自分の生き方を決めるうえで参考とする、
単なる進路の一つに過ぎないのだ。
自分の生き方は自分で選択する時代・・
だからこそ、「生活(生きる活動)」が何なのかは、自分で定義するしかないのだ。
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