発言を放棄したら、僕たちは

 

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月が変わり、メールマガジンの契約も先月いっぱいで終了し、また気持ちを新たに文章を綴っていこうと思う次第です。まさかとは思いますが季節ももう変わり目に突入しているのでしょうか。なんとなく気持ち、涼しくなった感覚があります。来週からまた雨が続くらしい予報もあって、気がつけばいつの間にか夏が終わっているのではないかと、そんな予感がしています。なんだか寂しい・・かといって別に、夏季のイベントを満喫する活発なタイプでもないのですが。

今日は休業日です。いつもは火曜を定休日にしているのですが、妻から調整依頼があって、本日に振替となりました。

「ちょっと出かけてきます」

なんて発言をすると、〝このタイミングで不謹慎じゃないか!〟などと糾弾されそうな今の世の中。自身の言葉をネット上に残すことは大きなリスクを伴うのだとひしひしと感じています。これがフォロワーとの交流を図るSNSだったら尚のことだろうと思う。たった一つの不用意な発言が仇となるツイッターやインスタグラム。それを毎日、しかも複数回投稿しているのだから、そのての発信者というのは相当な強心臓の持ち主なのだろうと思います。しかも一度ミスを犯しても再起してまた投稿を始めるのだから凄い。自分には、とてもできません。

と言いながらも、こうして自分もネット上に投稿をしているわけですが、糾弾されるのが怖いから発言するのを辞める、といった撤退のプロセスは辿りたくありません。

僕は性格的に不向きなのでSNSはやっていませんが、あるいは上記の理由からSNS利用を躊躇している人もいるのではないかと想像します。自分の中に言いたいことはあるけれど、炎上するのが怖いから言わない。言えない。そうやって思いや情熱を押しとどめている人がいるのではないかと。

だけどそうやって誰もが発言することを辞め、誰もが自身の心のうちを明かさない世の中になってしまったら、まったくもって気持ちが悪いと思う。生きていくうえでどうにも居心地が悪い。とくに、本音と建前を区別できない僕にとっては。

ただでさえ上っ面の言葉、表情、態度で溢れかえっている社会にあって、非対面の交流場でさえも自身の思いを発言できなくなってしまったら、それはもう世も末ではないか。と僕は思う。そんな気持ちの悪い社会で暮らしていくのはとても耐えられない。

別に抵抗している、というほど強い意志があるわけではないのですが、少なくとも作家を名乗っている一人として、己が朽ち果てるまで発言することを辞めていけない。というちょっとした信念をもっているがために、こうして今日も、仮想空間へと文章を投稿している次第です。

 

 

自身の発言を放棄した時、対人関係の学びは失われる。

上っ面の交流から学ぶことは何もない。分かった気になるだけ。理解したつもりになるだけ。

本音での交流を放棄してしまえば、ただいたずらに時が過ぎゆくのみになってしまうのではなかろうか。

そんな憂いを、僕は禁じ得ない。

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