2020/10/19

目的地は「中庸」

 

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テーマ:陰と陽

 

陰と陽の両極にある者同士は分かり合えない。

お互いの考え方、価値観が真逆なため、
仮に話し合ってもひたすら対立を深めてしまうだけだ。

陰にとって陽の意見は間違っているし、
陽にとって陰の意見は間違っている。

だからどちらかが譲らない限り、
この対立状態が解消されることはない。

ただ分かり合うことはできなくとも、
相手の考え方や価値観を知ることはできる。

そしてこの「知る」ということが、
僕たちにとっては何よりも重要なことなのだ。

相手の考え方を知ることで、
自発的に変えようと思わずとも、
自然と自身の考え方や価値観に変化が起こってくる。

なぜなら、対立する二つの陰陽は、
それぞれがそれぞれに対して強い影響力をもっているからだ。

 

 

僕たちは歳をとるにつれて価値観や考え方が変化していく。

僕自身も10年前の自分とはまるで違う考えをもっている。

例えば、以前までの僕は、
「すいません」という言葉を頻発するのが大嫌いだった。

社会に出ると大人たちはやたらと他人に「すいません」という。

別に自分が悪いわけでもないのに、
なぜだか自分の非を認めるようなまねをする。

その行動は僕にとって、
まるで自分を卑下しているようにしか感じられなかった。

”自分で自分の価値を下げる必要はない”

だから僕は、本当に自分に非があると感じた時以外は、
「すいません」という言葉を使わないように徹底していた。

ところが、いつからかその価値観は消え去ってしまった。

それはある一人の経営者の立ち振る舞いを目にしたからだ。

その人物は複数の会社を経営する50歳前後の男性で、
業界内でもそこそこ名が知られていた。

しかしそれほどの社長さんが、
自分よりも相当若い経営者や自社の従業員に対してすいませんを連発していた。

僕はその様子に不愉快な気持ちを感じたものの、
同時に一つの疑問が湧いてきた。

”この人はどうしてこんなことをしているのだろう?”

それからしばらくその社長さんの所作を観察したところ、
僕は「すいません」の本当の姿に気がついた。

”「すいません」は相手を労うための言葉”

たとえ自分にはまったく非がなくとも、
相手は何かしらの行動をしてくれた(る)はず。

すいませんという言葉は、
実は自分の行いについてではなく、
その相手の行動に対してかけられている。

つまり、自分のやった行動を謝罪しているのではなく、
相手のしてくれた(る)行動を労うためにすいませんと言っているのだ。

たとえ相手が平気な顔をしていても、
本当のところはどう思っているかなんてわからない。

けれどそういう場面で労いの言葉をかけられると、
その一言のおかげで妙に救われたような気持ちになることがある。

そのような「ちょっとした一言」というのは、
他人と気持ちよく交流するためには意外と重要なことらしい。

そう、自分の意地を通して満足するよりも、
相手に心地よくなってもらう方が物事は遥かに円滑に進む。

要するに、
すいませんと言わないよりも言う方が
ずっと良い対人関係が築けるということだ。

”「すいません」は謝罪ではない”

その真実を知ってからは、
もはやそれを言うか言わないかなんてどうでもよくなってしまった。

僕がもっていた「すいませんの価値観」は、
その頃からもう陰でも陽でもなくなった。

陰と陽のちょうど真ん中に位置する『中庸(ちゅうよう)』へと昇華されてしまったのだ。

 

 

陰陽道では中庸を最も良い状態として考える。

陰と陽を知るというのは、すなわち中庸を知ることを意味する。

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