相手に合わせるだけではダメ

 

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小説を書こうと思った最初の思考には、「多くの人を楽しませたい」という思いがありました。それまで「啓発」や「解放」といった思いが強かった自分にとって、それは大きな方向転換となりました。

読む人を楽しませたいと思うに至った作家が書く本は、自己啓発本やノウハウ本とはなりません。当然、それは創作の物語を展開させる小説ということに相成ります。

作家・大矢慎吾にとっての2021年は、いわば、エンタメを学ぶ年でした。

元来の人間性が真面目すぎる自分には、エンタメの心というものが身についていませんでした。どうにもつまらない人間だったのです(今もそう変わりはありませんが)。

その自分を一言で言い表すのであれば、〝シャレが通じない奴〟と形容するのがもっとも適当となります。もともと人が発する冗談を冗談と取れない、という厄介な気質を備えており、歳を重ねるに連れてその気質が人格に占める割合が大きくなっていき、ついには真面目一辺倒の人間が形成されていました。ゆえに、自身が生み出す本も、面白みのない本ばかりとなっていました。まあ、それはそれである種、面白いとは思うのですが。

そういったこれまでの自分から脱却(発展)するべく、今年はエンタメというものと存分に向き合ってきました。多くの小説を読んだり、それ以上に多くの映画やドラマを鑑賞したりと、エンタメ作品にこれでもかと浸って過ごしてきました。もしかするとそのために派遣契約を終了する必要があったのかもしれないと思うほど。まるで誰かに導かれるようにして、この主夫生活を始めたことを今でも覚えています。

今年一年、それと向き合ってみて分かったのが、エンタメの心とは「誰かのためにそうする」ということでした。

エンタメは外観的にはパフォーマンスであり、一見すると自分を魅力的に見せたいがためにやっているように思えてしまうのですが(事実、多くの演者はそう)、本物たちに宿っているのはむしろ、「提供」の精神。受け取る側が求めていること、または暗に欲しているものを、自身が演じてみせる、あるいは表現してみせる、というのがエンタメの心であるのだと知りました。

その学びを拠り所に、今日まで牛歩ながら小説を綴ってきたわけですが、ここに至ってまた作家として更なる気づきがありました。『相手に合わせるだけではダメだ』ということです。

読む人を楽しませるために小説を書いているのだけれども、しかし、小説は読者に合わせて書いているだけではダメで、一人の人間として、自身の「頭の中」をさらけ出すことが求められる。たとえ読み手に理解されずとも、そしてまた共感されずとも、自身の頭の中にあるものを正直に公開することが求められる。小説には、書き手としてそのような『勇気』が求められるのだと、気がつきました。

だからとても怖いけれど、半ば自己満足の気持ちで、自分の思考や主張を書き上げていこう。そんなことを決意した今日です。

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