2021/08/23

知りたいからこそ生きる

 

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今日は何を書こうか・・と、思考を巡らせた時にいつも最初に浮かぶのは「生きる」ということについてです。

しかしすぐさま「だからそれはつまんないって」という自己否定が起こり、その案は却下されます。どうしても書きたい気持ちがあってたまに強行突破することはありますが。

「生きる」というものほど壮大で、危険なテーマはありません。それを書くにあたって。

例えば、健康について何かメッセージを発信したいのであれば、その者の背景には医学的な権威がまず求められます。医師免許とか、どこかの大学教授とか。それは知識のない者が扱ってはいけないテーマだからではなく、たんに受け取る側に対する説得力の観点からの話です。「なるほど、この人の話は聞く価値がありそうだな」受け取る側がそう思えるかどうか、ということ。知識さえあれば講釈をたれることは誰でもできますので。

その観点から考えると、生きるというテーマはあまりにも大きく、生半可な人物では講釈をたれることも憚られます。「お前ごときが言うなよ」というツッコミが飛んでくること請け合いですから。

ですので、まずもって言及することを避けるべきテーマであると普通は考えます。そもそも面白くないですし。人との会話においても、生きるとかそんな人生論みたいな話をされても、ちょっと重く感じてしまう。

ただ、じゃあ誰だったら生きるということについて語ってもいいのだろう? と考えてみると、その〝資格〟はなんだかグレーゾーンな感じがしてしまいます。

年齢? いや、歳をとってればいいってものでもないだろう。

学歴? いや、頭がよければいいってものでもないだろう。

では哲学者か? となると、なんだかそういう人の話は難しそうで、ちょっと面倒に感じてしまいます。実際「ソクラテスの弁明」とか、何を言ってんのか全然分かんないですし。

そんなことを考えていたら、別に誰が語っていいとか、悪いとか、資格みたいなものなんて無いような気がしてきました。要は、受け取った側がその者の言葉に価値を感じるかどうか、という話なのではないかと。

 

 

何かを宣言したいわけではありません。予告でもありません。

僕は、生きるというこの壮大なテーマについて考えることが大好きです。それを探究することにもっとも興味をそそられます。人生におけるあらゆるテーマにおいて。

生きる、というテーマほど面白いものはありません。なにせ頭の中で創造したものをすぐに実行できるのですから。単なる妄想では終わりません。机上の空論にはなりません。自分が現実社会においてそれを行動に移している限りは。

ただ頭で考えるのと実際にやるのとでは全然違う。理想と現実。想像していたようにならないのは当たり前で、実際には自分の思うようにいかないことばかりです。そこには痛みも伴います。苦しいです。辛いです。

しかし、生きるということはとても辛いことですが、「死にたくない」という生存への欲求も同時に強く抱いてしまう。なぜなのでしょうか? まったく不思議なことです。

それを僕はずっと「死ぬのが怖いからだ」というふうに解釈していたのですが、いつからか、どうやらそういうことではないのではないか? と思うようになりました。生物の生存本能は遺伝子からくるものなのではなく、もしかすると「心」からくるものなのではないか、と。

つまり、自分自身の心の奥底に「生きたい」という強い想いがあって、その衝動が自分の体を「危機回避」につなげるのではないかと僕は思うのです。遺伝子に刻まれた条件反射なのではなく、紛れもない『自分自身の意思』によって生存を望んでいるのではないか、と。全てはあくまで個人的な意見になりますが。

ただそういう自分の思いや、考えを、これからも自身のメッセージとして発信していきたいという考えに至りました。これはつい昨日の話です。逡巡してみて、やはりそう思いました。

 

僕は生きることを考えるのが大好きです。

死にたい気持ちも常にもっていますが、それ以上に生きたいという強い〝探究心〟も、もっています。

その探究心こそが、僕にとっての「生きる」ということに他なりません。

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