絶対に届けたいという意思

 

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妻に宣言をしました。「明日から必ず一定の生活リズムで作家活動をする」と。

妻は大して興味がなさそうでした。しかし僕は分かっています。そういう反応をすることで僕にプレッシャーをかけないようにしてくれていることを。あなたの好きなようにして、と、自由方便に作家をやらせてくれている妻。誰にも干渉されないことが夫にとって一番良い環境であると思ってくれている様子です。本当に感謝。

しかし、だからこそこれからも自己管理を徹底していかなければいけません。すべての責任を自分で背負う覚悟が必要。失敗も挫折もスランプも、起こる出来事は全部自己責任として受け入れていく姿勢。まあそういう生き方は、分かりやすくて僕はけっこう好きです。

小説が読むものから書くものとなり、実際に執筆をしてみて色んなことが分かってきました。そのなかで今どうにも拭いきれないのが、自分の小説に対する「果たしてこれは面白くなるのか?」という懸念です。これはもう一向に払拭できない。おそらく完成してもまだ同じ懸念を抱いているのではないかと思ってしまいます。真の意味で完成することなどないと思うので。

出来は別にしてとりあえずの完成を見た時、自分がそれを読んで面白いと感じられなければ、当然、読んだ人が面白いと思ってくれることはありません。それを途中段階にある現在、まだどうにも量り知ることができないでいます。形になった時に一体どうなるのか、が書いている自分も半信半疑の状態なのです。あるいは作家としては失格なのかもしれません。

ただしかし、創造の作品とは得てしてそうなのではないか、とも思ったりします。

以前、ある密着番組で松本人志氏が「やってみないと分からんよ」とコントの企画会議の場で言っていたのを思い出します。もちろんそれは、一定レベル以上のものを列挙したうえでの発言だとは思いますが、あの笑いの天才ですら具現化してみないと分からないと言うのですから、やはり出来上がるまでは量れないというのが創造物であるのかもしれません。下手をすれば想像とまったく違った、ということもあるのだと思う。

では、作家としてどう執筆に臨めばいいのか? という話ですが、今のところの僕の考えでは、「どれだけ人に届けたいと思っているか?」が鍵になるのではないかと思っています。その思いが強ければ、たとえつまらない作品が出来あがっても、最終的にそれなりの形にはできるような気がします。そう、きっとそうであるはず。

どれだけ人に届けたいと思っているのか? 最後はきっと、そういう気持ちの部分がものを言うはず。

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