2021/08/23

続き:共に戦っていきたい

 

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明日が新刊の発売日ということもあり、
昨日のことについてもう少し詳しく話そうと思う。

例えば、親戚の子供が不登校になってしまったとする。

もしその子供を「助けたい」と思ったなら、
あなたは相手とどのように接するだろう?

1:相手に寄り添ってあげる
2:相手を励ます

1:相手に寄り添ってあげる

もしも過去に自分自身も深く悩んだ経験があるのなら、
子供のよき話し相手になってあげられるかもしれない。

子供の部屋の扉越しに会話をしたり、
ラインや電話で相手の悩みを聞いてあげることもできる。

その子供にとっては、
苦しみをわかってくれる人がいるだけでも救われると思う。

それだけでも十分相手を救うことになるだろう。

けれど、ただ話を聞いているだけでは相手は変わらない。

悩みや苦しみを誰かに話せたことで
子供の気分が少し楽になったとしても、
目の前の状況は何一つ変わっていない。

その子供には変わらず
「学校に行く」という課題が残ったまま。

2:相手を励ます

だったら子供を励ますという接し方もある。

子供が前向きな気持ちになれるように、
相手を応援するという関わり方。

自分の言葉が子供の心に響いたら、
もしかすると子供の気持ちが何か変わるかもしれない。

前向きな気持ちになって、
「よし、学校に行ってみよう」
と思ってくれるかもしれない。

相手を助けたいと思ったなら
相手の悩みをどうにかしてあげたいと考える。

けれど、これは相当難しい。

「頑張れ」なんて言葉、
子供にとってはプレッシャーだろう。

しかも身内とはいえ親戚の子供。

あまりに自分が関与しすぎると、
子供の親が不快に思うかもしれない。

もしも自分の言葉で事態がより悪化したら、
もう親戚の縁を切られるほどの話になるだろう。

ハッキリ言って、人を励ますなんてやめた方がいいのだと思う。

余計なことを言って相手を不快にさせる可能性があるなら、
最初から黙って話だけ聞いてあげたらいい。

そもそも「助けたい」なんて単なるエゴだろう。

「自分のエゴを満たすために
人の家庭の問題に首を突っ込むな!」

親戚からそんなふうに言われるかも。

余計なことをするなという話だ。

⋯けれど、僕はそれでも相手を励ましたい。

人が人を助けたいと思って何が悪いのだろう?

もしも相手にとってそれが余計なことだったら、
それはそれで仕方がないだろう。

「余計なことを言ってゴメンなさい」だ。

けれど僕はその言葉に続ける。

「ゴメンなさい。
だけど助けたいという気持ちを僕はあなたに伝えたかった」

たとえ相手を不快にさせたのだとしても、
自分がそうしたいと思ったのだから仕方がない。

自分が間違っていたなら謝るしかないだろう。

やり方がマズかったならちゃんと反省する。

そして次からはまた別のやり方で相手を助ける。

「助けることをやめる」なんて選択肢はない。

僕はそう思っている。

僕はそういう人間だ。

そう思ってしまうものは仕方がない。

結局、自分の気持ちに正直に生きることしかできない。

だからこれからも本を書き続ける。

今回は自分なりに考えてやり方を変えました。

明日、新刊のお知らせをします。

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