自分が自分を信じてやらねば

 

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一体、誰が自分を信じてくれるというのだろうか? 妻、両親、そして読者。誰一人として自分についてきてくれるはずがない。

自分を信じていない作家の書いた本など誰が読みたいだろうか。そんな本にお金を払ってくれる人はいない。金額の問題ではない。寄せた期待を裏切られるのは何より腹立たしいことであるから。

では、まだ売れていない自分をどうしたら信じられるのだろう?

これといったヒット作もない。世間からの評判もない。第三者によるお墨付きもない。このいわば、まだ価格も付されていない未公開株式の上場を一体、どうやって信じろというのであろう。

⋯⋯などと、問いかけをしておいて何なのですが、自分は上記の問いに苦悩したことは一度もありません。初期衝動から現在に至る約3年の月日において、もしかすると自分は売れないかもしれない、といった疑念を抱いたことは皆無。それについて悩んだ時間が1秒たりとも無かったのです。幸せなことだなあ、と自分でも思います。

信じているという言葉ほど信用できないものはない、と個人的に思います。

信じる、というのは意思です。行動です。脳みそが号令を発したがゆえに起きる現象です。危機回避行動などの本能的なものは例外として、それは自然発生的に生じたものではなく、自身の思考によって作り出したものであって、いわば、元々そこに存在していたものではありません。これほどいい加減なものがあるでしょうか。人工的に作り出したものというのは、時の経過と共に必ず劣化していってしまいます。

〝ただ売れると思う〟

自分にとって信じるというのは、そのたった一つの思いでしかありません。

明確な証拠。強い意志。それら論理的な根拠などは一切なく、ただ自然と心に湧き上がってくるその思い一つ。側からすれば、それは荒唐無稽に感じられる脆弱なものだと思いますが、自分にとっては、これほど堅固なものはないと思っています。なにせ、思うものは思う、のですから。

それは人工物ではないため、破壊したり、取り除いたりすることはできません。それはただそこに生じる泉のようなもので、人間の意思でどうこうしたところで、またいくらでも湧き上がってくるために、いつか消滅してしまう恐れもありません。

だからこそ、これほど信用に足るものはない、と思っています。やはり人間の存在など自然には到底及ばないですから。

自分を信じているのか? と聞かれたら、信じていると答えます。

けれどもその「信じている」は、「信じようとしている」のではなく、「ただ信じている」というのが正確なところ。自分の場合は、脳みそから生まれる思考よりも、心から生じる思いの方がよっぽど信用できます。

詰まるところ作家・大矢慎吾は、自分の心に生じるその思いを、信じています。

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