2021/08/23
自分にできることをやればいい
最近はリラックス時間に映画を観ています。Kindle作家だけに、Amazonプライムで。
映画はいいですね。2時間に収まっているので、ストーリーが凝縮されていて、短い時間で起承転結が完結します。ドラマだと続きが気になって仕方がない。一度ハマると、下手したら生活リズムにまで影響がでてしまう。
全てを観終わるまで他のことができなくなるため、シリーズ物には怖くて手が出せません。ウォーキングデッドは、自分にはハマらず幸いでした。あのての海外ドラマは本当に危ない。中毒性があります。
人の作品を観ているとあらためて感じるのですが、結局のところ、作家は自分のできることをやるしかない。そう思います。
映画を観たあとにレビューを読んでみると、ときに様々な改善案が示されていることがあります。
「ここはこうするべき」
「ここは違うんじゃない?」
「◯◯のパクリじゃん」
なかにはもっともだと思えることも書いてあって、目の肥えた視聴者もいるんだなと感じます。
と同時に、自分のような個人出版の小説を読んだ場合はどう思われるのだろう? などと不安になったりします。もうクソミソに言わるんじゃないかと。もちろん言われるうちが華で、そもそも読まれなければ、そこまですらいかないのですが。
お金をいただく以上、やはり読んで後悔されるような小説は書きたくない。ただ自分の書く小説は「作品」と呼ぶレベルにまで達するのだろうか? あれこれ考えていると、キーボードを叩く手も止まってしまう。
けれども最終的には氷解します。どのみち自分のできることをやるしかない。自分が想像する世界観を表現するしかない。
モノ作りとはいえ、映画や小説は、誰にでも同じものが作れるわけではありません。自分の頭の中にないものは、やはり作れない。そこに個性があるのだと思います。
だからこそ、仮に「こうあるべき」という正解があるのだとしても、その作家には作れない。なぜなら出来上がったものが、その作家が思う正解なのだから。
いい加減な書き方をしない。消化不良のまま出版をしない。
自分なりに精一杯書き上げることしかできない。そう思います。
関連記事 - Related Posts -
最新記事 - New Posts -
-
2023/06/05
-
生きるとは自殺への反抗
-
2023/05/31
-
哲学的な死の解釈
-
2023/05/22
-
宇宙や魂の存在を考察する哲学
-
2023/05/18
-
自己啓発でもなく、スピリチュアルでもなかった