2021/08/23

自分の気持ちに正直になりたいなら抵抗するのをやめること

 

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今日は「正直」について書こうと思う。

ここ最近、エッセイを書くにあたっては、個人の〝能力〟をテーマにしようという漠然とした方針が頭にあった。勇気、自信、根気、などといった具合だ。自分が個人主義を好むネコ科の人間として、これまでに培ってきたそれらについて書いてみようと思い立ったのだった。

その方針からすると、「正直」というのは個人の能力にあたらないのではないかと思われるかもしれない。そんなものは単なる性格の話だろう。正直を極めたところで自身の生活にどんな変化が訪れるというのか、と。

しかし、僕は確信している。正直であることは人としての能力の一つである、と。

そして、〝正直になる能力〟を身につけることがもっとも難しいことである、と。

 

 

自分は嘘をついたことがない。

そう口にした途端、その者は嘘つきとなる。なぜなら嘘をついたことのない人間などいないからだ。と、言い切ってしまってもいいほどに人は嘘をつく。とくに日本人であれば尚更のことである。

データを参照したわけではないが、日本人は相手を思いやる気持ちに長けた民族であるらしい。それゆえに、はっきりとした物言いをしない、直接的な表現を使わない、といった民族的な特性をもっている。できるだけ争いを避けようと、心で思っていることとは違った言葉を相手に発するのだ。

そんな本音と建前を使い分ける日本人にあって、正直を貫いて生きるというのは並大抵のことではない。あるいはあらゆるものを犠牲にすることになるかもしれない。分かりやすいところでいうと「出世」とか。そんなもので身につけられるほどその代償は軽くはないが。

かくいう僕自身も幼い頃は嘘ばかりついていた。そして物心ついてからも、相手の為に、そして自分の為に、本音を隠しながら社会生活を送っていた。スタンダードに生きている限り、誰に教えられずとも、本音を隠す術は自然と身についてしまうものなのだろうと思う。

そう、だからこそ正直に生きるためには、まず「正直になる能力」を身につける必要がある。

僕たちはまず間違いなく、本音を隠してしまう癖(社交関係)が身体に染み付いてしまっているからだ。

 

 

自分の気持ちに正直に生きる。

そのような生き方を確立したことによって分かったことがある。

それは、『後悔が全くない』ということだ。

「あの時にこうしていれば・・」過去を振り返った時にそのような場面が一瞬たりとも存在しない。起こった出来事、身をもってした体験、それらすべてに自身が心から納得をしているのだ。だから過去の日々に悔いが一筋も残っていない。

それゆえに満足度が高い。過去のどの瞬間をスパッと切り取っても、その時の自分の気持ちは常に満たされているのだ。

その瞬間、その場面では、とても苦しかったり、絶望を感じていたりはする。早くここから抜け出したい、もう二度とこんな思いはしたくない、と。けれどもその出来事、その体験をしたのは、自分が正直を貫いた結果であるので、気持ちだけは存分に満たされている。どのみち出来はしないけれど、それらの過去をやり直したいなどとは微塵も思わないのだ。

正直に生きた日々には後悔がない。

これが「正直」という能力を身につけることで得られる産物である。

 

 

偉そうに言いたくはないが、きっと多くの人が自分の気持ちに正直に生きたいと思っているはずである。

けれどもその気持ちが生じるのとほぼ同時に「そんなことできるわけがない」という否定の気持ちが生じ、その思いは阻止されてしまっているのではないかと思う。

あるいは覚悟を決めて実践をしてみたものの、社会という大きな壁に阻まれ、即座に挫折の気持ちを味わっているのではないかと想像する。そうして「やはりそんな生き方できるわけない!」と悔しさに身を震わせたのではなかろうか。

僕自身も何度も何度も挫折し、数え切れないほど部屋で一人悔し涙を流してきた。正直を貫くことなんてできるわけがないだろうと諦めかけたこともあった。

しかし、ふとしたきっかけから自分の考え方を変え、それからは不思議と何もかもがうまくいった。顔を強張らせたり、歯を食いしばったりせずとも、自然と正直を貫くことができるようになった。正直に生きようと思わなくても勝手に正直に生きることができていた。

それは、『抵抗するのをやめよう』と考えるようになってからだった。

正直を貫こう、と考えることは、ある意味では抵抗していることを指す。なぜなら何かしら心に圧力がかかっていて、それに対して「いや、それではダメだ!」と抗っているような状態を指すからだ。正直になることについて、自分の〝意思の力〟を使ってどうにかしようとしているのである。

しかし考えてみたら、正直になることについて特段の意思は必要ないはずである。

心にパッと生じた瞬間のその気持ちが紛れもない己の意思なのだから。

多くの場合、僕たちは頭で考えて物事をどうにかしようとする。だから物事は複雑になっていき、いたずらに選択肢が増えるばかりとなる。

しかし「気持ち」というのは生じるか生じないか、ただそれだけでしかない。思うものは思うし、思わないものはどう足掻いたところで思わないのだ。

そう、だから自分が思うものはどうしようもないのだ。その思いに素直に従ってやるしかない。抵抗するだけ無駄なのである。

とどのつまり、それがきっと「正直になる能力」であったのではないかと僕は分析している。

 

正直になろう。そう思うと、なぜだか正直になれない。

しかし抵抗することをやめた途端に、自然と正直になっていくのだからまったく不思議な話である。

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