親の前ではいつまで経っても子供

 

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実家から大量の玉ねぎが送られてきた。時価総額にして4,000円(現在最寄りのスーパーで1個100円)。これまで送ってもらった野菜のなかでもっとも高価値な代物となった。

「送ってほしい」と頼むのには躊躇した。「最近ちょっと忙しいから要件はできるだけラインして」と父に対して冷遇をしていたので。

コロナ禍に突入して以来、できるだけ両親と長電話をするように心がけていた。ずっと会えていないことも大きかったが、とかく両親の精神状態が心配だった。〝コロナ鬱〟という報道がなされずともその懸念は抱かれた。重症化するのは高齢者。我々現役世代の抱く不安とは比べ物にならない陰鬱さが胸中を支配しているだろうと。

ところが世間的にもその生活に順応が生じてくると、長電話するのも段々と煩わしくなってきた。もういい加減慣れただろうという思いがあったためだ。まったく勝手な話に違いない。

ただ実際、外出も少ないので話題もほとんどないし、いつまでも嘆息してばかりいるのはむしろ精神的によくない。もはや付き合っていくしかないのだから、それありきの生活を想定した方がいくらか前向きになれる。というわけで以前の親子関係に立ち戻ると、やはり「長電話は煩わしい」の思考が再燃し始めたのだった。まったく子というのはいつまで経っても親の前では子であるらしい。

そんな冷遇のさなかに頼んだ「野菜送って」のおねだり。親からしたら「そんな時ばかり調子良く電話してきよって」という気持ちになるだろう。それでも物価高騰の昨今、背に腹は変えられない。わがままを承知で堂々と甘えた次第だった。それでも快く送ってくれるのだからやはり親である。

そして気負いながらもやはり甘えてしまう子供な自分。甘えることができた両親との関係。親子って本当にすごいなあと思った。やっぱり、全部すっ飛ばしてくれるもの。いやしさも恥ずかしさも、別に見せてもいいやと思える。そんな相手は家族以外には他にいない。

お礼の電話をした。素直に嬉しいという気持ちを伝えた。父も役に立てて嬉しそうだった。久しぶりに饒舌だった。

だけどやっぱり話が長い。自分が話したいことを一方的に喋っている感じ。ぼちぼちいいだろう。関係ないところまで派生しとるがな。もう十分喋ったろう。小説を読みたいんだよ。もう切るよ。

まったく、子というのはやっぱり、いつまでも経っても親の前では子であるらしい。

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