2021/08/23
趣味は生きることです
YouTubeで動画を観ていたら「ソロキャンプ」の動画がオススメに表示されました。どうやらその道の第一人者であるあの芸人の動画らしい。
内容は自身の一人キャンプの様子を撮影したもので、落ち葉の絨毯が敷き詰められた地面や木漏れ日が差し込む木々が終始画面を席巻し、よくある効果音やテロップ表示などもなく、ただただ自然の中で過ごす主の様子が映像に収められている。キーを回して車のエンジンをかける冒頭、整備された道路から山道へ侵入し草むらを分け入るように森の中へと駆け進むフロントガラス越しの山道、少し開けた空間に車を止めてぽんと置いたムシロを敷物にいざ焚き火を。と、その臨場感はなかなかのもので、観ている側がその当事者になったような錯覚を覚えます。やったこともないのに、その楽しさを体感できたような気持ちになれました。
AmazonPrimeでもソロキャンプを題材にした作品をいくつか見かけることから察するに、おそらく世間ではちょっとしたブームになっているのでしょう。あるいはもう廃れ気味になっているのかも。俄然、流行にはうといために実のところが分かりかねますが、とにかくそのような波が生じたことはまず間違いないかと思います。
僕も自然が好きなので、このての動画は楽しめるのかな、と思いきや、どうも心をくすぐられません。ソロキャンプという文化自体を否定したいわけではなく、単に僕にとっては、惹かれる要素があまりありませんでした。
おそらく〝たまには自然の中に身を投じてみる〟というのがこの文化の醍醐味だと思うのですが、いかんせんその自然だらけの田舎で生まれ育ってきたわけで、そのような緑の景色や漂っている芳しい香りというのは、もう子供の頃から嫌というほど体感してきていて、わざわざ出向いてまで求めようという気にはなりません。いやむしろ、そのような場所にうんざりした若者が憧れの都会に移り住んでいる次第で、自身の貴重な時間を割く理由は盆暮れ正月だけで十分なのです。映像から聞こえてきた虫の音だけでもうお腹いっぱい。
ただせっかくいただいたご縁、ということで主のことを色々と調べてみたら、かの人物は「ひとり」で生きることを好む人間なのだそう。そこは共通項。やはり一人で自然の中に身を投じるくらいですから、おひとり様が性に合うというのはとても共感できました。僕も一人で登山に出かけていたようなタイプです。
けれども彼にはキャンプという立派な趣味があって、おひとり様生活の中でも娯楽に興じ、人生を楽しむことをされていらっしゃる。根暗でネガティブシンキングな道を歩みながらも「楽しむ」ということを見つけておられる。
じゃあ自分はどうだろう? と考えてみたところ、僕にはこれだ、といえる趣味がありませんでした。
数年前まで夢中だった登山熱もめっきり冷め、シーズン真っ只中である今にあっても行く気は起こらない。好きなはずの映画も気が向いた時にしか観ないし、自身作家でありながら小説など滅多に読まない。読者はむしろ、必要なものを得るためにすることであって、娯楽として楽しむために読書をしたことなど数えるほどしかありません。映画を観るのも半分リサーチみたいなものだし。
つまり、一般的に趣味として興じられているそれらは、僕にとっては娯楽ではありません。何かそれをする目的があってこそ時間を割くものであって、純粋に楽しむことを目的としたものではない。すなわち趣味とは呼べないのです。
思えばずっとそのように時を過ごしてきた気がします。興味をもち没頭していた数々の文化は「知りたい」という探究心から求めたもので、遊びとして楽しんでいる感覚はありませんでした。たしかに興じている間は楽しいけれど、それはその文化自体が楽しいのではなく、気づきを得たり、学びを得たり、理解に到達するまでのそのプロセスが楽しいのであって、目的を達してしまえば熱は冷めてしまう。それを「一生の趣味にしょう」なんて気はまったく起こらなかった。
誰もが過ごすならば楽しい時間の方がいいだろうと思います。楽しい人生の方がいいし、そうしたいと考えるだろうと思います。かの芸人も、極力人付き合いを避ける生き方をしながらも、楽しむ、ということは求めている様子。
自分は何なのだろう? 自分は人生を楽しみたくないのだろうか?
趣味もなければ友達もいない。かといって、楽しむことを求めてもいない。
願うのはただ、何かを創作していたい、という欲望のみ。それはハッキリ言って楽しいだけのものではない。いくばくかの寿命を代償にして勤しむ半ば自傷行為のようなもの。とても娯楽だとは呼べない。
そんなことを考えていたら、「こいつ(自分)は一体、何を求めて日々を生きているのだろうか?」などと変人を見るような気持ちになってきて、なんだか可笑しくなってしまいました。
そう、きっと、この時間こそがそうなのだと思います。
今こうして椅子に座り、手を動かし、頭を働かせているこの時間。
今体感しているこの瞬間、それこそが、趣味。
つまりは生きることそのものが自分の趣味。きっとそうに違いない、と思いました。
そっか、そりゃあ友達もできないよな。
自虐ではなく、純粋な思考として、そう思った。
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