2021/05/12

逃避の果てに見る純真なる欲望

 

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数年前に酒浸りの生活をしていました。コンビニで缶ビール1ケースとつまみを購入し、記憶がなくなるまで飲み尽くし、翌日の昼過ぎに起きてまた同じことを繰り返す。たまにワインを一瓶、日本酒を一升、という日も交えながら、一年間ほど同生活を続けていました。

体重は15kg増加、顔中にシミが増え、目の下には常にクマが。まともに風呂にも入っておらず髪はボサボサ、まさに廃人のような風貌だったと思います。

何の目標もなく、何の希望もない。とにかくお金を稼ぐ方法だけは知っていて、食うことには困らない生活。だから諸々の不安は一切感じていなかった。誰かに話すと「羨ましい限りだよ」「贅沢な悩みだな」「罰当たりな奴だ」などと散々罵倒されましたが、自分にとっては、あまりにもくだらない一年間でした。

なぜそんなことをしていたのか? と聞かれたら、やはり死にたかったのだと思います。

死にたいけれど死ねない。中学の時に母親と約束をしたため、少なくとも両親より先に死ぬことは許されない。それが妻というかけがえのない存在を得たことで、有り難いことに無期限の延長を余儀なくされました。

そうした自身の誓いが制約となり、自傷行為を行うことができず、逓増的に体を痛めつけることでそこに近づけようとした。それが薬物使用などの犯罪行為を嫌う自分の性格と相まって、アルコールで正常な思考を飛ばすというありきたりな方法に着地しました。

 

 

これまでにも何度か似たようなことをしてきました。

環状線の電車に一日中乗車していたり、難波から関西空港まで折りたたみ自転車で行こうとしたり。まったく無駄な、訳のわからない行動へと自分の身を投げること。自分を含め、この世界の誰にとっても、まったく必要のない馬鹿げた行動。

ただ、この世界にとってまったく意味のない行動というのは、起こした人間の思考に、不思議な境地を体感させてくれます。

そう、例えば、自分の体を繋いでいる見えない”枷(かせ)”の存在に気づかせてくれる。

自分は一体何に縛られているのだろう? 自分は一体何を守ろうとしているのだろう? 自分は一体誰の為に、何の為に、責任を果たそうしているのだろう?

あまりにも馬鹿馬鹿しい行動を行うことによって、倫理観や道徳観の色眼鏡を一時的に外すことができる。登山をした時に感じる感覚と似ているかもしれません。

その境地のことを、僕は「逃避の果て」と呼んでいます。

 

 

逃避の果てに見えるものとは?

人によって様々だとは思いますが、僕の場合は「やりたいこと」です。

自分はこの人生で一体、何をやりたいのか?

地位も名誉もお金も全部すっ飛ばした時、自分は一体、何を成し遂げたいのか?

それらを自分に教えてくれます。

 

今回も教えてくれました。

自分の心には、やはり「本を書きたい」という純真なる思いがありました。

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