過剰に適応しようと躍起になるのも、どこか醜い

 

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これからの世の中がどうなるのか。それは神のみぞ知るところだけど、私たち一般人にもなんとなく見えることがある。

例えば、その時がいつやってくるのかはわからないけれど、AIに仕事を奪われる人が続出するだろうというのは想像がつく。レジ係、単純労働、窓口対応。それが10年後なのか30年後なのか、あるいはもっと近い将来なのかもしれないけれど、いずれにしても我々が生きている間に何らかのかたちで影響が訪れるのは間違いない。

そして個人間の格差はより一層拡大していくだろうと思われる。才能があって頭がいい人はより安泰となり、大した才能もなく大して知性もない人間は今以上の苦汁を嘗めることとなるはず。今後ますます活躍できるのは創造性のある才能を開花させた人たち。彼らはNFTを活用して知的財産という金のなる木をガンガン増やしていくことだろう。またエンターテイナーはSNSやメタバースなどの空間をファンと共有することによって広くTipを獲得していくことだろう。そして頭のいい人間たちは両者の流通業者となって権利収入にあやかることだろう。学歴の高い優秀な者たちを組織内に確保することによって。

じゃあ残された我々のような凡人はどうすればいいのか。AIに領域を冒されていない各種職務に従事しつつ、積み立てNISAなどの少額投資信託やインターネットを活用した副業を頑張ってなんとか収入を確保することになるはず。65歳からの年金すらアテにできない以上何らかの方法でお金を作るしかない。働き方改革によって早く帰れる分、それをお金を稼ぐ労力に費やすこととなる。どのみち働きづくめであることに変わりはない。

SNSは嫌だ。投資や副業なんてやりたくない。そんな私のような人間はどうすればいいのだろう?

暮らせる家があるなら自給自足のような暮らしをするとか。仙人のような社会とは一線を引き自然と調和した生き方をするとか。または同志たちを募って集落のような場を形成し助け合って生きていくとか。いずれにしても大きな病気にかかったら「これが私の寿命だから」と受け入れる生き方をすることになる。無理に引き伸ばすようなことはしない。自然のままに、起きるがままに。古来の生き方に立ち戻るといった感じだろうか。

どれが良いとか悪いとか、そもそも選択する余地なんてものはないのではないかと思う。自分が可能である生き方によって生きていくしかない。才能や知性は求めたところで得られるものではない。それは有るのか無いのかの話で、努力によってなんとかなるものではないのだから。

きっと才能があっても「そんな生き方はしたくない」という人もいるだろう。知性があっても「苦しんでいる人の声に目をつむった生き方はしたくない」という人もいるかもしれない。また「自然に帰るなんてそんな地味な生き方は嫌だ!」というシティー派の人もいるだろう。実は私もその部類だ。古来の生き方が穏やかで安寧を得ることができるのだとしても、私はそんな退屈な人生はまっぴらごめんだ。平穏は怠惰。悩みのない人生なんて退屈でむしろ死んでしまう。欲望を追求するつもりはないが活力を抑え込んで生きるのはなんだかちょっと違う。自分にできることが何かあるはずだと、そう思いながら私は生きていたい。

自身の適性によっておのずと選択肢は決まってくる。そしてたとえ気に入らなくてもどれかを選ばざるを得ない。だとすると今後、生きることは「適応」を強制されることを意味する。変わりゆく世界に対して自分を適応させる。気に入らない生き方にも適応させる。いずれかの選択肢のなかに自分という人間を適応させる。それが、これから私たちを待ち受ける世界を生きることの「生きる」を指す。

 

 

〝どうしてそこまでして生きたいのだろう?〟

自分に質問してみると、返ってくるのは「生きたいというより、死にたくないから」という答え。要するに、死ぬのが怖いかららしい。

自分の気持ちとは無関係にやっぱり生存本能があって、それが何が何でも死を回避しようと考える。そして生きられるような、生き続けられるような行動へと自分を向かわせる。それをもって結果、「生きたい」という意思を私は示すことになる。たしかにそれは嘘ではないけれど、反射神経というか、自分の気持ちとは無関係に出てくるもので、本心とは微妙に違う気がする。あるいはその本能を利用されているのではないかと勘繰ってしまう自分もいる。嫌だろうと何だろうと死にたくない奴らはどうせ無理矢理にでも適応させるだろう。そういう話し合いがどこかで行われているのではないかと思ったりもする。クダラナイ。そんなことはどうでもいいではないか。ともかく目の前の世界はそうである、その現実にどう対応していくのかを私たちは考えればいいだけだ。

『適応』

それは社会において義務ではないけれど、責任と解釈される部類のものであると思う。嫌だと思ってもどうにかこうにか自分を適応させることが大事。なんでも自分の思い通りにはならないのだから。社会とは人が集まって形成されているものなのだから。そうやって自分を律し成長していくことが社会人としての責任なんだよ。それがまた家族をもつ者の責任でもあるのだからね──。

私の人生は適応の苦しみに終始する人生だと思う。これまでもずっと適応しなければいけないと頑張ってきた。自分をなんとか適応させるべく死力を尽くしてきた。それでもまだうまく適応することができていないわけだけど、ただ、適応できない立場から適応というものを見てきた分、他者よりも適応に対して少し客観的な見方ができるのではないかと思う。

私は思う。適応と「執着」は紙一重なのではないか、と。

生きるというのは適応すること。何が何でも自分を世界に適応させること。

しかしそれは、ともすると「生」にたいして執着していることを指しはしないだろうか。生きることに過剰にしがみつこうとする姿勢には見えないだろうか。

たしかに生を授かった以上、一生懸命生きることは当たり前で、命を粗末にしないためにもお迎えが来るその瞬間まで生きることを自ら放棄してはいけないと思う。死ぬまで労力を尽くすべき。死ぬまで生きることを諦めてはいけないものだとは思う。

けれどもその思いが過剰を極める場合には、あるいは執着することにつながりはしないだろうか。無理矢理その考えに固執することにつながりはしないだろうか。

生きることを頑張るのはもっともだと思うけれど、生きることにあまりにも執着するのは、なんだか違う気がする。それはまるで必死に不老不死を追い求める資本家のごとき醜さを感じてしまう。それだって生きることを頑張っていると見ることもできるだろう。誰よりも生にたいして貪欲であるわけだから。

それをもって「生きる」を指すのであれば、多くの人が頑張って生きていないことになってしまうだろう。生き続けるためにもっとできることがあるのだから。もっと健康に気をつけて運動をしないと。健康な食事をしないと。不摂生をやめないと。無理をしないように生きないと。ストレスがかからないように生きないと。危険はすべて避けて生きないと。リスクを一切背負わないように生きないと。体に害のあるものは一切口にせず、危険のあるところには一切足を踏み入れないで、危険な人とは一切関わらない。その生涯を無菌室のなかで大事に過ごさないと──。

⋯⋯気味が悪い。そんなの生きているとは言えないのではないか。しかし極端にいえば執着とはそういう状態を指すのだ。執着とは一言で言えば気味が悪い状態。生きることにあまりにも執着したその生き方は、ハッキリ言って気味が悪いと私は思う。

 

 

思えば、何らかの活動によって収入を確保しなければいけない、何らかの活動によって自身のポジションを築き上げなければいけない。そういった気持ちがなかったとは言い切れない。そういった気持ちが作家に向かわせたことを完全に否定することはできない。心のどこかでこれからの世界を想定していたのは間違いない。そこに何らかの「適応」の意志が含まれていたことも間違いないだろう。

作家になって成功できなければ自分には未来がない。その気持ちが原動力になっていた感は否めない。やはりそれは適応の試みであったのだと思う。もちろんそれが動機であったわけではない。またそのためだけにあれほど頑張っていたわけでもない。ただ一つの理由としてこの先の未来に向けた適応の意志があったことは間違いない。

では、作家という道が閉ざされてしまいそうな今、自分の未来はもはやお先真っ暗なのだろうか。待ち受けるのは絶望しかないのだろうか。この先を生きることは苦汁を嘗める日々を過ごすばかりに相違ないのだろうか──。

いや、そんなはずはない。

たとえ適応できなかったのだとしても、そこには、その生き方には、何らかの種が隠されているに違いない。その生き方でしか得られない体験が待っているに違いない。他の生き方では決して拝むことのできない景色が広がっているに違いない。たとえそれ以外の日々がクソみたいであったとしても。

適応しなければ。適応させなければ。そういう生き方を否定するわけではないけれど、それが過剰になってくるとだんだんと執着につながってくる。その生き方は間違いなく健全ではない。見方によってはどこか病的に映る。

私たちは何とか変化に適応して生きていかなければいけない。これからも適応する試みを放棄してはいけない。

けれども、執着するのは、違う。生きることに執着するのは、やっぱりおかしい。そういう人間は、ちょっと醜いかも。

私は、醜い人間には、なりたくない。

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