2021/08/23
道理に縛られない生き方
歳をとってくれば、誰でも物分かりがよくなってしまうもので、自然と人間が丸くなり、嫌でも相手の立場をおもんばかってしまいます。きっと相手にも色々あるんだろうな。などと考えてしまう。
若い頃は楽でした。自分のことだけ考えていればよかったので。周りが大目に見てくれたし、別にそれでいいんだよ。と大人がそう言ってくれた。
しかしひとたび社会に出ると、「そんなんじゃあやっていけないぞ」と様々な人間が警告を発してきます。いつまでも子供扱いされると思うなよ。お前ももう、こちら側の人間になったんだ。まるでそう言われているようでした。
最初は「うるせえよ。お前らの言いなりになんかならねえ」などと意気がってみせますが、段々と分かってきます。そんな態度では誰も協力してくれない。ということが。
社会には学校とはまったく別のルールがあり、まったく別の行動原理で人々が動いています。例えばかっこいいとか、運動ができるとか、喧嘩が強いとか、そんなものは何の影響も及ぼさない。人が人に従うのは、それらとはまったく別の影響力であり、まったく異なる魅力によって扇動がなされている。
だからまずは、自分もそのルールや行動原理を学ばなければいけない。教科書や授業では学ぶことのできない、その”道理”と呼ばれる、人としての行動規範を。
そのことが分かり、諸先輩方の言うことにはとにかく従い、「ノー」と言わないように自分を戒めていました。すると周りにも受け入れられて、様々なことを教わることができました。
ようやく自分も社会の一員になることができた。と思った。
ところがしばらくそうしていると、違和感を感じるようになってきました。
”どうして誰も、「なぜ?」に答えてくれないのだろう”
ある程度の道理が分かってくると、今度は、どうしてそんな生き方をする必要があるのか? という疑問が湧いてきました。だけどそのことについて質問をしても、誰も、その答えを教えてはくれない。
「そういうものなんだって」と言ってはぐらかされるか、もしくは「そんなことを知る必要はない!」などとキレられ、聞いたこっちが悪いのだと窘められるか。
分からないのは自分が未熟なせいだと思い、なんとか辛抱して社会生活を送っていましたが、ある時ふと、こう思いました。
”理由なんて、別にないんじゃないの?”
規範に沿って生きることで誰もが幸せになれる。だから人間としての道理が説かれている。自分としてはそう思っていました。ですが・・どうやら違ったようです。
社会に生きる一人一人が一つの道理に従うことによって、誰もが暮らしやすい社会が形成される。そのために、人としての道理が説かれている。
僕が感じた行動規範の存在理由は、そのようなものでした。
なるほど。たしかにそれはそうかもしれない。きっと一人一人が誰にも迷惑をかけずに暮らす社会が形成されていれば、誰一人、嫌な思いをする人はいないだろうし、みんなが豊かに暮らすことができるだろう。
けれども、じゃあ自分みたいに、社会にうまく適応できない人たちはどうなるのだろう?
人と人との複雑な心理の駆け引きが苦手な人。「見栄」とか「体裁」とか「仲間意識」とか。多くの人が気にするであろうことに、あまり気が回らない人。他人とあまり価値観が合わない人。適当にただ合わせるのではなく、自分の気持ちを大切に生きたい人。
そういう人たちは、社会からすると「異分子」にあたるのだろう。母集団に問題をもたらす人たち。自分たちの平穏な暮らしを脅かす怖れのある人たち。
できれば排除したい人たち。
そうか、だからレールから外れている人は、他の人たちから白い目で見られるのか。
平穏な社会を形成するためには、一人一人が我慢をし、自分の意思を殺し、決められた道理に従う必要がある。
もしも、それを僕たちにとっての『幸福』と呼ぶのならば、僕は絶対にそんなものに従う気はない。
平穏=幸福であるならば、退屈=幸福。何も起こらないことが人生にとっての幸福。ということ。
だったら人はなんのために生きているのだろうか?
何も問題が起こらない人生を生きるのならば、だったら最初から、この世に生まれてくる必要なんてなかったのではないか?
リスクを避け、危険を遠ざけて、最後までただ平穏無事に過ごすことで、なんの学びや体験が得られるのだろうか?
極論だと言われてしまうかもしれないけど、結局のところ、この一点に尽きるのではないだろうか。僕はそう思っています。
たった一つの道理に縛られることによって自分の意思が殺されてしまう。ひいては、一人一人の人生が殺されてしまう。
それが社会の道理だというならば、そんなものに従う気はない。
物分かりのよい大人になるのは止められない。だけど、物分かりのよい社会人になることには最後まで抵抗する。
僕は道理になんて縛られず、自分の頭と心で考える。
他人に対する思いやりと、自分にとっての幸福を。
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