2021/08/23

長い間ネガティブに囚われていました

 

この記事を書いている人 - WRITER -

正直に告白します。

僕はここ数年、ずっとネガティブな観念に囚われていました。

これはあなたにとってはあまり意味をなさないことかもしれませんが、僕の人生においてはおそらく重要な分岐点になるであろう気づきです。

僕は常に誰かの人生に影響を与えたいと思っています。

そしてまたそのような人物でありたいとも思っています。

前者は純粋な思いやりの気持ちから生じるものであり、後者は自分の願望から生じるものであると自覚しています。

この二つの思いは矛盾することなく同時に満たすことができます。

どうすれば相手にとって良い影響を与えられるのかを必死に考え、それを実行することにより、相手に良い結果がもたらされたことが確認できれば、僕は大きな充足感を感じることができます。その確認は相手からのお礼の言葉ではありません。相手がその出来事に向き合い、解放に向かって自らの足で歩み始めるその姿が確認できれば、それだけで僕は心から嬉しくなります。たとえ相手から嫌われたとしても、相手がその出来事と向き合うきっかけに自分がなれたならばそれでいいと思っています。

ただ、これらはすべて、「相手が求めた場合」に限って成立することです。

別に相手が求めてもいないのに、向き合うきっかけを与えようとしたり、良い結果が得られるように働きかけるのは、単なるお節介です。その結果相手に感謝されることもたまにありますが、だいたいは愛想笑いを返されて終わります。当然です。相手は僕にそんなことを求めてはいないのですから。

この”やりすぎ行動”は、二十代までは自分の願望(エゴ)から生じたものがほとんどでしたが、それ以降は思いやりが先行するあまりに相手の領域にまで踏み込んでしまうことによって生じています。嫌われる勇気でいうところの「課題の分離」ができていない状態です。

このようにお節介を焼いてしまう悪癖は自分の人生の課題であり、そして自分自身がこの人生で学ぼうとしているビックテーマであることを自覚しています。

 

 

現代は情報化社会です。必要な情報は求めればすぐに手に入りますし、求めなくても向こうから勝手に与えられます。

自身が望まずして与えられる情報は、ポジティブなものもたまにありますが、ほとんどの場合がネガティブなものです。その理由は、ネガティブな情報の方が見る者の感情を刺激するからです。その方が視聴者のクリックを誘いやすくなり、メディア側にとって数字につながりやすいからです。これはマーケティング業務に携わっている人たちにとってはよく知られていることです。

誰もが感じていると思いますが、日本はもう10年以上もネガティブな情報ばかりが紙面を飾っています。デフレという言葉が使われだして以来ずっとです。

しかも明らかにそれは年を重ねるごとに酷くなっています。ここ数年はその傾向が顕著に現れている、といえば誰もが納得してくれるのではないでしょうか。ヤフーニュースを少し上下にスワイプするだけでやたらと不快な気持ちを抱いてしまいます。

具体的に何かというわけではありませんが、多くの人がなんらかの”異変”を感じ取っているのではないでしょうか。

その異変を数年前に感じ取った僕は、持ち前のお節介から「何とかしなければ」と思いました。そうして自分なりに知識を集め、検証し、十分な理解に至った結果、その理解を多くの人たちと共有する必要性を感じました。

その理解を簡単に説明すると、
「ネガティブな出来事は、実はポジティブな出来事だ」
ということになります。

どう考えてもネガティブだとしか思えない出来事も、然るべき知識を身につけ、新たな価値観を築き、そして自身の精神性を高めればポジティブな出来事に感じられる。そうすれば幸福な気持ちをもったまま日々を過ごすことができる、という感じでした。

そうなるために必要な難解な知識をできるだけ分かりやすく伝える・・自分の存在価値はそこにあるのだと認識していました。だから自分には到底無理だろうと思うようなチャレンジにも、ここ2年間で幾度も挑んできました。それには相当な心労が伴いましたが、それが自分の使命であると認識していたので、自分なりには充実感を感じていました。

 

 

ところが気づいたのです。

 

”ネガティブはネガティブしか生まない”

 

ネガティブな思考、ネガティブな想像は、どこまでいってもネガティブな現象しか生み出しません。ネガティブから生じたものは、やはりネガティブなのです。

それはニオイの悩みに関する本を書いている時には分かっていたことでした。憎しみは憎しみしか生まず、ネガティブはネガティブの連鎖を生むだけである、と。

それが派遣社員として働きだしてから徐々に忘れ去られつつあったようです。退職したことにより危うく寸出のところでその事実を自覚することができました。

自分がそうなってしまった原因は、おそらく「望まずして与えられた情報」にあるのではないかと分析しています。

これまで僕はニュースの類を一切観ないようにしていました。必要な時に必要な情報だけを調べることにより適度な距離感を保っていたのです。ところが、オフィスワークになってから頻繁にネットニュースを見るようになりました。パソコンのスリープ状態を解除する度にネットニュースが画面に表示されるようになっていたのです。

最初は記事をまったくクリックしていませんでした。元より観る気がなかったので当然上下にスクロールすることもありません。

けれどもちょっとした隙間時間にクリックしてその記事を観るうちに、徐々に閲覧する時間が長くなっていきました。そして気付いた時には一日に何度もネットニュースを開くようになっていました。開く度に新しい記事がないか逐一チェックしていたのです。完全にそれが習慣化されていました。

そうして次第にネガティブな出来事に自分の意識が傾いていき、そのうち、その出来事に対処する必要性を感じていきました。

その結果として、
「ネガティブな出来事は、実はポジティブな出来事だ」
という考え方をあなたに共有するという行動に行き着いたわけです。

それは自分にとってポジティブな考え方であるつもりでしたが、ネガティブな焦点から生み出したものはやはりネガティブな考え方なのだとようやく気がつきました。そもそもそんなことに対処する必要など全くなかったのです。

そう・・答えはとてもシンプルでした。

 

『僕たちはひたすら幸せなことばかり考えて生きればいい』

 

とにかく自分が喜びを感じられることをひたすら追求していけばいいのです。ネガティブな要素に対処する必要など全くありません。いや、そんなものに触れる時間など設けなくていいのです。ネガティブな情報などつゆ知らずで真っ直ぐに己の道を進んでいればそれでいいのです。

ネガティブがそうであるように、ポジティブはポジティブの連鎖を生みだします。ポジティブな思考はポジティブな思考を、そしてポジティブな行動はポジティブな行動を。

そうやって自分をポジティブな意識の海に溺れさせてしまえばいいのです。

なぜなら、僕たちは幸せになるために生まれてきたのですから。

 

 

僕は長い間ネガティブに囚われていました。

ネガティブな想念は恐怖を生み、そして執着心を生み出します。そうやってこの物質世界に自身の魂を留めようとします。それこそがまさにこの物質世界のネガティブな存在が狙っていたことである、と今ならば分かります。

ネガティブはネガティブしか生まない。だからポジティブの意識の海を泳いでいた方がずっと良い学びがあります。自分が幸せであれば人に良い影響を与えることもできますし。

 

そしてまさにそれこそが、自分のやるべきことなのだと僕は気づきました。

この記事を書いている人 - WRITER -
 

Copyright© 売れっ子Kindle作家 大矢慎吾 , 2020 All Rights Reserved.