面倒くさい自分を活かしたい

 

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もうこんな時間になってしまいました。室内の設備交換のために業者がやってきたり、荷物が間違って配達されてきたりと、なんだかんだと騒がしい一日を過ごしていました。というわけで今日は短めに。

ここ最近、夫婦でホラー映画を鑑賞することが増えてきました。以前まで「断固拒否」の姿勢を貫いていた妻の方針が転換されたためです。どうやらこのての作品の楽しみ方を覚えつつあるようです。ただ単にグロいだけではないのだ、というホラー映画の魅力に気づいてくれたみたい。

ひと昔前のホラー映画は「観る者をいかに怖がらせるか」ということに主眼を置いて作られていた感がありますが、もはや出し尽くしてしまったのか、昨今では、一捻りも二捻りも加えられた作品が多く見られます。ただ怖いだけでなく、サスペンスやミステリーの要素が入っていて、最後まで興味をそそられるよう構成されているものがほとんど。伏線をあえて回収しないまま終えているものも少なくないです。

そういった作品の「意図」を入念に紐解かんとするのが自分の楽しみです。これは何を言いたかったのだろう? これはどういったことを表現したかったのだろう? 鑑賞しながら、また観終わった後に、監督・脚本家の頭の中を想像し、もっともそれらしいと断定できる答えを見つけるべく考えに耽ります。そして各々の考えを持ち寄り、夫婦で答え合わせした末、さらにレビューで他者の考えを参照するのがまた面白い。ここまで読み取った人がいるのか、と感心させられることがしょっちゅうあります。

ただ手前味噌ではありますが、自分も的確に指摘しているレビュアーさんに負けず劣らず、ある一定の考えを、正しいか間違っているかに限らず構築することができます。そしてその考えを隣にいる相手に披露し、眠たそうに、長ったらしいという気持ちを隠そうともせずに聞いているのが、ひたすら情緒的に生きている妻。彼女にとってはそんな考察などどうでもよく、ただ楽しく鑑賞できればそれでいいようです。

たしかに妻のように、ただ楽しく時を過ごすことができたなら、映画鑑賞はどれほどの娯楽になりえるだろうかと思います。けれど自分は、ただ時を楽しむことができません。その時間に何らかの意味を見出したいと思ってしまいます。いや、意味が見出せないのならば、その時間を過ごすことに対して価値を感じられません。価値、とか言っている時点でもはやダメなのでしょうが。

「なぜ?」「どうして?」頭に浮かぶ疑問をそのままにおくことができません。どうしても解決しないことには気が済まなくなってしまう。まったく面倒な性格です。だから映画やドラマなどを鑑賞しだすと、観終わった後にしばし考えに耽ってしまうことがしょっちゅうあります。自身の思考に一度決着をつけないことには、次の行動に移ることができません。ああ、書いているだけでもなんだか面倒くさい。

なんだか取り止めのない文章になってしまいました。とにかく言いたいのは、自分で自分をとことん面倒くさい人間だと思っていて、そんな自分と付き合っていくしかないことに辟易してしまうけれど、それでもこんな自分を活かせる自分になりたいと、こうして日々奮闘しているということです。

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