SNSをやらない分。。

 

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突如として執筆の手が進むようになりました。突如として、なんてインパクト重視の表現を使うから誤解をもたらしてしまうのですが、要するに、ようやく「これだ!」というイメージに出会ったみたいです。今度はそのイメージを文字に具現化する作業。これも何度も修正を繰り返しながら地道に文章を紡いでいきます。まったく牛歩。仕方がないですね。精進あるのみ。

こうなると今度は、こちらの方の更新が滞っていくと思われます。時間が遅くなるか、あるいは内容がてんで薄くなってしまうか。

それも仕方がありません。それが大矢慎吾という作家です。二つの筋肉を同時にパンプアップさせることはできない性分です。

このご時世。誰もが頑張っていて、誰もが無理をしてでも努力を重ねているのではないかと思います。日々目まぐるしく変化する環境に適応せねばならず、その都度対応を迫られ、随時、自身を高めるか、もしくは柔軟な考え方をもつかの選択に迫られる。諸行無常。「もうこれで一生安泰だ」なんて場所はもはや存在しないのかもしれません。

そんな中で自分は、作家という好き勝手なことをさせてもらっているわけですが、けれどもやはり、自分のやりたいことだけをやっていては日の目を見ることはないだろうし、嫌なことにも、苦手なことにも、挑戦していかなければいけないと思う。

その自分にとっての挑戦は、「小説」と「エッセイ」の二刀流です。

自分が作家と名乗っているのにはちょっとした(いや、けっこうな)信念があって、文章を使って何かを生み出す者でありたい、といった思いがあります。小説家でいたくはないし、エッセイシストでいたくもない、という気持ちから「作家」と名乗るに至っています。両者をけなしているわけではないので悪しからず。

だからこそ小説を執筆しながら、こうして毎日、つらつらと思いを綴っている次第です。これを辞めてしまったら自分は作家を名乗れなくなってしまう。これが自分にとっての今できる精一杯の努力です。二頭追う者は一頭も得ず、なんてことは承知のうえで。

たしかに小説もエッセイも両方面白い、という作家さんは、正直言って少ないのではないかと思います(生意気言いますがこれは本音)。それはエッセイのもつ性格が、そもそも「著者に興味があるのかどうか?」に由来しているから、という理由もあると思うのですが、個人出版の作家の場合は、そして、この時代における作家の場合は、エッセイという自己表現の形もあった方が、より読者の方を楽しませることができるのではないかとそう思っております。

とくに自分のようにSNSをやらない作家は、SNSをやらない分、エッセイで自分の身を切り売りします。という思いがあります。それでなんとか楽しんでいただければ幸いです、という。SNSをやることで小説の執筆が滞るくらいならいっそ辞めてしまえ、と、読者の方ならきっとそう思うはずだと、そう信じて。

日々精進いたします。

毎日更新、がんばろう。

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