2023/07/21
この街の不動産屋さん 8
その日はあいにくの雨だった。しかも街に吹きつける風が轟轟と唸りを上げ、営業中の店々の窓をうるさく叩いていた。
もちろん「この街の不動産屋」も例外ではなく、歩道に面した店舗の窓ガラスはがたがたと音を立てて揺れていた。強風程度に破られるような柔な代物ではないが、空になったコンビニの弁当やドリンクの容器が宙を舞う姿を見ていると少しおっかない気分になる。時折窓を急襲するその音には接客中の客が思わず振り返ってしまうほどだ。
「それでは部屋の鍵をお渡し致します。気をつけて引越しをして下さいね」
「お世話になりました。ありがとうございました」
女性客は川上に見送られながら店を後にした。傘をさそうと広げたがすぐに諦め、近くの大通りまで走っていってタクシーを拾った。よりによって今日か、と女性客は思っていたかもしれない。
その姿を最後まで見届けた川上が気の毒そうな表情を浮かべている。
「心配ですね」
眉を曇らせた川上は溜め息交じりに呟いた。
「大丈夫ですよ。あのマンションなら敷地内に引越し業者のトラックを停車できますから、荷物はそこまで濡れないと思いますよ」
川上を安心させようと大沢が業界の慣習を伝える。
「川上さんの心配はそれだけじゃないのかな」
仲間の心境を案じた瀬下が横から言った。
「そうですね。だって今回は、完璧な”アウェイ”じゃないですか?」
馴染みの喫茶店で、というのが向こうが出してきた条件だった。
「まあでも敵地に乗り込んでいくわけじゃないですから」
瀬下はかなり落ち着いている様子だ。過ごした時間の違いがそうさせるのだろう。
「だけど加藤さん自身も納得しているわけではないんですよね?」
前回に打ち合わせをした際、社外秘となっているレペゼン堀江の仕組みを加藤店主にも公開した。
当事業が実質的にまだ開始前であるため、誰彼かまわず詳細を教えるわけにはいかない。新しい事業には先駆者利益というものがあり、とりわけ「一番最初に始めた者」が消費者からの固い支持を得る。それ以降に始めた者は先駆者の”パクり”のように見られる傾向があるからだ。しかもデジタルコンテンツ以外でこの仕組みを導入している例はまだないため、余計においそれと公開するわけにはいかない。
その仕組みを知った加藤の反応はあまり芳しくなかった。
察するに、革新的なそのアイディア自体には興味を抱いたのだろう。時代の潮流はそちらに向かっているわけだし、サービス業にも何かしらの影響があると考えるのは自然な発想だといえる。時代の変化に対する対応を迫られるのはどの業界にも共通することだ。ただ、その内容があまりに突飛であるため、容易に納得しかねるところがあったのだろう。
「最初に社長から話を聞いた時、瀬下さんはどう思いましたか?」
大沢が社長の元同僚に問いかける。
「面白いと思った。だけど実現するのはかなり困難だろうとも思った」
瀬下はその当時の心境を正直に説明した。二人はうんうんと頷いている。
「ただ・・」
交互に二人を見つめた瀬下は、声に力を込めて言った。
「高杉陽一という人間ならば、あるいは成し遂げるのかもしれないと思った」
高杉が店に入った時には、既に顔ぶれは揃っているようだった。
雨に濡れた傘をたたみながら迎えた店員に「アイスコーヒー」と告げて足早に席へと向かう。
「すいません、お待たせ致しました」
約束の時間の十五分前ではあるが詫びを入れる。
「いえいえ、私たちが勝手に集まっていただけです。先にある程度話しておいた方がいいと思いましたので」
加藤が気を回してくれたらしい。あるいは、別の意図があったのかもしれないが。
「そうでしたか。それならば、皆さん、概要は知っていただいたのですね」
高杉が自己紹介に入ろうと名刺入れに手をかけると、端っこに座っていた男が突然喋り出した。
「聞きましたよ。会員制の仕組みにするらしいですね」
男は真っ直ぐに高杉の目を見ている。
「そうなんです。今資料を・・」
高杉が取り出す間もなく男は声を上げた。
「いやいや、使い放題ってどういうことですか?」
動きを止めた高杉はゆっくりと男の方を見た。
「月額一万円で堀江の店を利用し放題にする? そんなもん私らが賛同するわけがないでしょう!」
男の怒声は店内に流れるジャズミュージックを掻き消して余りあるほどだった。
〜続く〜
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