2020/12/28

この街の不動産屋さん 9

 

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 不意に車両が急停車したのか、頭をがくんと揺さぶられた高杉は目を覚ました。こういう時に吊り革を握った手が離れないのを本当に不思議に思う。頭は寝ていても神経は活動を続けているのかもしれない。

 開いた目には小さな女の子が映った。母親らしき女性の隣りにちょこんと座り、固く握った両の拳を太ももの上に乗せている。スマートフォンを忙しく上下させている母親とは対照的に、口を真一文字に結び高杉の足元にじっと視線を向けている。さながら城に仕える侍が如き女の子の姿に言い知れぬ罪悪感が湧いてきた。

 もう二ヶ月以上まともに顔を合わせていないな・・。

 レペゼン堀江プロジェクトが始動してからはや三ヶ月が経った。その忙しさは開業時にも増して過酷を極めていた。

 妻の沙知とはたまに顔を合わせることもあったが、一人娘の櫻の顔はしばらく拝めていない。にも関わらず沙知の口から櫻の不満はまったく聞かれなかった。それはおそらく、堰き止められているのではなく、真に溜まっていないのだろう。自分の求愛が父親の情熱の妨げになると考えるのが櫻という娘であった。

 だからこそ、自分は前に進むしかない。

 何の犠牲もなく事を成し遂げたいなど虫の良い話だと思う。何かを得るためには何かを失う覚悟をしなければいけない。歴史の偉人たちの成功には常に犠牲がつきものであったのだ。自分だけはその例外でありたいというのは傲慢だろう。

 相手へかけた迷惑に報いるには、立ち止まることなく走り続ける後ろ姿を見せるしかない。

 なぜなら相手が真に喜びを実感できるのは事が成し遂げられたその時だけだからだ。それまではどんな報告も単なる慰めにしかならず、どんな予言もエセ占い師の吐く戯言にしかならない。相手に安息をもたらす言葉はただ一つ。「成し遂げた」その事実しかないのだ。

 ごちゃごちゃと説明を重ねるほど相手には胡散臭く映る。だからとにかく走り続けるのだ。口で示すより行動で示す方がずっと信頼性がある。それが夢を追う者が関係者に果たすべき責任だと高杉は考える。

 そしてその姿を見せていれば、たとえ結果が伴わなかったとしても、あるいは相手に納得をもたらすこともできる。

 死ぬ気で走った後ろ姿は軌跡となり、相手の記憶にしっかりと刻印されるからだ。

 

 

 「打ち合わせは昼からですよね? 私も行きたかったな」

 川上が残念そうな表情を瀬下に向けた。

 「僕たちがやるべきことは果たしました。あとは瀬下さんと社長に任せましょう」

 大沢がお互いの頑張りを労うように声をかける。

 「二人は本当によくやってくれました。あなたたちの苦労は決して無駄にはしません」

 そう言った瀬下は握った拳を胸にとんとんと当てた。責任は必ず果たす、という決意表明である。

 「だけどまさかこのような展開になるとは思いませんでした。草案にはここまで書かれていなかったですよね。社長は当初から考えていたのですか?」

 首を傾げた大沢が疑問を呈した。

 なにせ彼は、高杉の会社員時代のインスタグラムからレペゼン堀江プロジェクトを知っていた者だ。デモンストレーションの段階では、単にインスタグラマーの力を借りるところまでしか示されていなかった。もちろん社外秘であった草案にもそれ以上は明記されていなかった。

 「おそらく漠然とした発想はあったのだと思います。なにせ私たちは不動産屋ですから。このプロジェクトに不動産を盛り込もうと考えるのは自然なことです」

 「社長も人が悪いですよね。私たちにまで秘密にしておくなんて」

 頬を膨らませた表情には幼さが存分に滲み出ている。こんな少女があの大きな商談をまとめ上げたのだ。理想に向かって突き進む人間の底力は誠に驚異的である。

 「社長は大胆に見えて意外と慎重なところがありますから、きっと最初の段階が上手くいくまで、あえて公開する必要もないと考えていたのかもしれませんよ」

 この青年にしてもそうだ。あの業界随一の過酷な環境である賃貸のグランディアを三年間生き抜いてきた根性は伊達ではない。

 この二人がいなければ、プロジェクトが次の展開を見せることもなかったかもしれない。なにせ高齢の家主にとって、若者の情熱というのは、心を揺り動かす最良の説得材料となるからだ。

 「それでは行って参ります。店の方は任せましたよ」

 上着を羽織った瀬下は、高杉の待つイタリア料理店へと向かった。

 

〜続く〜

 

妻の心は少し楽になったようです。

一日充電できた僕もかなり心が軽くなりました。

年の暮れまでガンガン執筆していきます。

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