他人のために忍耐を消費しない

 

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「忍耐」について書こうと思う。

昨日書いた「根気」と忍耐は似ていると思う。度重なる困難が訪れても諦めることなくやり続けること。そしてやる気を失っても初志貫徹して最後までやり抜くこと。それらはどちらも、その者のもつ根気と忍耐のなせるわざだと思う。

”人の忍耐は年齢に比例する”これは明言されてはいないものの、一般論として認識されていることだと思う。簡単に言えば、人は人生経験を重ねて成長するほど忍耐強くなる、ということだ。

自分の欲望に真っ直ぐな赤子から始まり、親に甘えられる成長期を経て、社会に出て協調性というのものを学び、そして家族を授かると今度は我慢する側にまわる。このように、年齢とともに「耐え忍ぶ」ということを覚えていくのが、一般にいわれる”人として成長する”ということなのではないかと思う。

たしかに僕も、歳をとって随分と忍耐強くなったなぁと思う。好き勝手に過ごしていた学生時代からは考えられないほどに。

ただ、自分の場合は、歳を重ねるにつれて忍耐強くなるというにわかな変化とは違った。一般にいわれるような人としての成長を経て忍耐強くなった、という感じではない。

ある時分から劇的に忍耐強くなった。そう、あれは、自分の生き方を変えようと思い始めた頃だったと記憶している。さんざん自分と向き合い、悩み、苦しみ続けた末に、これからはこのように生きていこうと決意した。

『周りの目なんてもう気にしない』と。

それからは、本当に忍耐強くなった。

どれだけ辛いことがあっても、どれだけ苦しいことがあっても、その先に訪れる未来を信じてひたすら耐え忍んだ。

もうこれ以上は無理だと断念しそうになっても、最後の希望まで失って絶望の闇に閉じ込められてしまっても、またひと筋の光が差し込むことを信じて寒い冬を乗り越えた。

自分の信じた道を進むためには、どんなことでも耐え忍ぶことができた。

なぜなら、それ以外のことをすべて犠牲にすることができたからだ。

周りの目なんて気にしない、そう思うようになってから、我慢をする機会が極端に減った。

嫌なことは嫌だと言って断った。嫌いな人には面と向かってあなたのことが嫌いだと言ってやった。むかつく相手にはむかつくんだよと胸ぐらを掴んで睨みつけてやった。

自分の言動・行動を、「相手に悪く思われてしまうのではないか・・」と考えて躊躇し、自分の中に閉じ込めておくことをしなくなったのだ。

だからこそ自分は以前よりもずっと忍耐強くなったのだと思う。

つまりは、これまで他人のために消費していた忍耐を、すべて自分のために消費するようになった。ということだ。

 

 

世の中には忍耐強い人がたくさんいる。

よくそこまで耐え忍ぶことができるな、などと感心してしまうこともある。

けれども、人の忍耐には限界あるのではないだろうか。

どれだけ忍耐強い人間であろうと、抱えきれないほどの困難が一挙に訪れたならば、そのダムは決壊してしまうのではなかろうか。溜まりに溜まった水が大洪水となって人々に襲いかかるようにして。

詰まるところ、忍耐の上限は決まっていて、それを他人のために消費するのか、あるいは自分のために消費するのか、そのどちらかという話なのではないだろうか。

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