2021/08/23
作家であることの信念
たまに発作的に放言が飛び出します。するときまって何人かの人が離れていき、なんであんなことを言ってしまったのだろう、と反省する。何十年もそんなことを続けています。
本来、作品を生み出す人間というのは、人間性を伏せていた方がいいのかもしれません。なぜなら人間性が、生み出した作品の邪魔になってしまうから。
作者の人間性によって作品の世界観が壊れてしまう。ハートフルな作品を生み出した作者がDV夫だったら、なんだかその作品が全部嘘に思えてしまう。
「うわっ、こんな人があれを書いてたんだ。なんか、幻滅しちゃったな」
麻薬で逮捕された歌手の作品が否定されるのと同じ理屈ですね。作品に罪はないといってもどうしてもそれを連想してしまう。なぜなら、その人によって、その作品が生まれたのだから。
もしも自分が小説家だったならば、ブログなど書いていなかっただろうと思います。己の考えや価値観、つまりは人間性を赤裸々に語ることはせず、ひたすら作品を生み出すことに専念していたはず。
そうでないのは、自分が「作家」だからです。
もしも自分の書きたいことを書けなくなったら、作家をやっている意味はありません。
いや、違う。
もしも自分の書きたいことを書かなくなったのなら、大矢慎吾という作家が存在している意味は、ない。
たとえ作品の世界観が壊れてしまったとしても、本の売れ行きが悪くなったとしても、己の人間性をごまかすようなことはしない。そう決めています。
それが、大矢慎吾という作家です。