2021/05/12

個人の時代とは、つまり

 

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最近はテレビ番組に見知らぬ素人がたくさん出演しています。小学生の姉弟とか、彫りの深い顔をした男の子とか。

この前、大好きな「逃走中」という番組を観たら、出演者の半数以上は知らない人でした。しかも、肩書きを見ても、それさえも何なのか分からない始末。◯◯チャンネルとか、◯◯TVって、どこの局の番組?

先週くらいにたまたま、よくある「衝撃映像」みたいな番組を観た時も、司会者のお笑い芸人以外は誰一人見たことない顔が並んでいた。パネラーとして。しかもゲスト出演らしい。

ゲストというのは、テレビ局側が視聴率を獲得するために、イケメン俳優とか人気女優とか、普段あまりバラエティに出ない人を特別に呼ぶ、という構図ではなかっただろうか。

ということは、そこに呼ばれていた彼らこそが、いわゆる数字をもっている人物たち、ということらしい。今の若者にとっては、その対象はテレビのタレントではなく、youtuberなんですね。

 

 

今やジェネーションギャップには、とてつもなく大きな乖離があります。

自分と親の世代との離れ方とは、全然違う。もう価値観とか考え方とか、どうにも理解し合えないほどの差があります。

例えば、僕のようにSNSを使わない人と、SNSを当たり前に使っている人とでは、価値観や考え方に大きな違いがあるはずです。おそらく生き方もけっこう違うはず。絶景を見た時、多くの人がスマホで写真を撮っていますが、僕は一生懸命に己の目に焼きつけています。

さらにスマホを持っている人と持っていない人にも大きな差あるはず。

インターネットを使う人と使わない人にも。

テレビを観る人と観ない人にも。

ニュースを観る人と観ない人にも。

きっと普段から目にしているもの、得ている情報が異なれば、その人物の中に形成される価値観は、まったく違ったものになるのだと思う。それが自分と親以上に、ものすごい離れ方をしている。

会話の中身どころじゃない。もはや、生き方から何から、全然違うのです。

 

 

個人の時代、という言葉が聞かれるようになって久しい。

これからは個人の時代。組織的な動きではなく個人が活躍する時代だ。などと初期の頃は言われていました。冒頭の状況は、それが如実に現象として表れてきている証なのかもしれません。

ただ個人の時代、という言葉の本質は、そこではないような気がします。

世代、学歴、家庭環境など、もはや何かの”層”で一括りにできないほど、無数の価値観や考え方が存在しているのを感じます。同じ世代の者同士であっても、まったく生き方が違う。一人一人が、違っているのです。

だから生きていく中での楽しみとか、喜びとか、いわゆる「生きがい」みたいなものを、誰かに教えてもらうのは難しいと思う。

何が自分を楽しませてくれるのか、何が自分の人生を豊かにしてくれるのか、それは、自分自身で見つけていかないと、難しい。いや、自分自身が自分のことを分かっていないと、難しい。

そうでなければ、他人から植えつけられた価値観に一生振り回されることになってしまう。そんな気がします。

 

個人の時代とは、個人で活動することにとどまらず、個人が個人の幸せを追求していく時代なのではないか。

個人的には、そう思っています。

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