2021/08/23
僕たちは傷つけ合うために生まれてきた
テーマ:輪廻転生
「喪失感」以外にも、
この物質世界でしか体験できないことがある。
それは、『痛み』だ。
肉体を必要としない魂の世界においては、
物理的な痛みを体験することができない。
殴る、蹴る、もしくは”刺す”とか・・
おそらく、喪失感と同様に、
”形式上”はそれを体験することもできるのだろう。
仮の肉体に乗って包丁で刺される、とかすればいい。
けれど肉体は死んだとしても魂は無傷だ。
”どうせ肉体が死ぬだけ”
なんてわかったうえで傷つけられても、
真の痛みを体験することはできない。
そして同時に、きっと逆側の立場も体験できないだろう。
そう、『人を傷つけてしまった痛み』も・・
痛みには二種類ある。
「物理的な痛み」と「精神的な痛み」。
人に殴られたら物理的に痛いけれど、
同時に相手を殴った方にも精神的な痛みがある。
”人を傷つけてしまった・・”
という気持ちになるからだ。
僕は、小学校まではいじめっ子だったので、
よく人を殴ったり蹴ったりしていた。
ただその対象は男の子だけだった。
父親から、
「女の子に暴力を振るってはいけない」
と教えられていたからだ。
ただ、一人の女の子にだけ
何度か暴力を振るってしまった。
その子はとても勝ち気な子で、
口喧嘩になると男の子相手でも一歩も引かない子だった。
本当にマシンガンみたいに次から次へと言葉が出てくる。
けれど、僕はカッとなると
言葉が出てこなくなってしまう人間だった。
どもったようになってうまく喋れなくなる。
その結果、殴る蹴るではなく、
「噛み付く」という暴力を何度か女の子に振るった。
相手の手から流血するほどに・・
女の子は大泣きしていて、
噛み付いた僕の方も泣いていた。
ものすごく「悲しかった」のだ。
本当は暴力なんて振るいたくはなかった。
けれど女の子に打ち負かされている姿を友達に見られたら、
男としての僕の立場も危うくなってしまう。
だから口では勝てない分、
暴力でそれを示すしかなかったのだ。
ただ、女性の痛がっている顔というのは、
男性側にとてつもない後悔を感じさせる。
それは”弱い者を傷つけてしまった”という圧倒的な罪悪感からくるものだ。
本来は守るべき相手なのだから当然だろう。
「痛み」は僕たちにいろんなことを教えてくれる。
人に傷つけられることで痛みを知り、
相手に対する「思いやり」を知ることができる。
そして人を傷つけることで痛みを知り、
相手に対する「譲り合い」の気持ちを知ることができる。
この世に「痛み」があるからこそ、
この世でしか体験できないことがたくさんある。
人を傷つけるのは当然よくないことだ。
だけど「よくない」と誰かに教えられても、
それは単なる知識として身につけたものにすぎない。
よくないのだと心から理解するためには、
自分の体でそれを実感するのが一番だろう。
もしかするとそのことを体験するためにここにきたのかもしれない。
・・そう、だからこそ僕たちは、
”傷つけ合うために”生まれてきたともいえるのだ。
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