2021/08/23
悪へと向けられた
不幸な出来事その1「お漏らし」
学生の頃は明るいグループに属しながらも、
大人しい子や暗い子と二人きりで話す事が多かった。
他人の感情がうまく読み取れなかった僕は、
いつも相手の思いに共感を示す事ができなかった。
ところが、苦しんでいる相手の気持ちにだけは共感できた。
それは学生時代から大人になるまで、
もはや”癖”となっていた相手との対話による成果だと思う。
僕の対人関係に関する努力は、「苦しみ」だけに向けられた。
他人の気持ちに共感できない僕にとって、
それは人と分かり合うための唯一の糸口だと感じていた。
もう、そこだけに頼るしかなかったのだ。
自分の経験則になるけど、
何かに苦しんだり悩んだりしている人は、
誰かに話を聞いてもらいたいと願っている事が多い。
その人に友達がいないわけじゃない。
「暗い話ができる」友達がいないのだ。
前回も書いたように、
集団の会話は予定調和になっているので
妙な話をすると周りから怪訝な顔をされる。
とくに暗い話や「重い話」をすると、
周りの人たちからあからさまに冷たい目で見られる。
誰もが一度は経験した事があると思う。
まるでそれがタブーであるかのように、
そういう話題をだした途端、周りから冷ややかな視線を向けられた事が。
たまに口が滑ってしまった時には、
「なんか、暗くなってごめんね」
などと詫びをいれたらまだセーフらしい。
そういうフォローのできない人物は、
「お前って、しんどい奴だな」
などと苦笑いを浴びるハメになるのだ。
だからみんな、本当は悩んだり苦しんだりしているのに、
それを誰にも話す事ができないでいる。
そういう時に、僕のような「暗い話要員」は活躍できる。
僕はよく、落ち込んだり、悩んだりしている子の話を聞く事が多かった。
適切なアドバイスはできないけど、
僕はずっと相手の話を聞く事ができた。
相手からしても、僕は暗い話や重い話をしても唯一、嫌な顔をしない相手だったと思う。
そうやって自然と人の相談ばかり聞いて育ってきた。
だから僕は人とコミュニケーションを図るために、
苦しみという感情だけにフォーカスしてきたといえる。
本質的にイジメっ子である僕のサディスティックな本能は、
そうやって苦しんでいる子と話すうちに、
自然と「悪」の方に向けられていったのだった。
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