2020/10/19

戦争が起きる要素「ダメ政治」

 

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テーマ:戦争

 

戦争は一人ではできない。

戦士となって戦う民衆が集まって軍隊となり、
そして軍隊同士がぶつかり合うことで戦争になる。

つまり、民衆が立ち上がらないことには戦争は起きない。

じゃあどんな時に立ち上がるかというと、
長期にわたって政治不信が続いた時に民衆は立ち上がる。

「もう、アイツらに任せちゃおけねえ!」

的外れな政策、実行されるまでの愚鈍さ、
責任逃れの曖昧な態度、そして間抜けな国会答弁・・

みんなで選んで任せた人たちが、
”もはや機能していない”と判断された時、
ついに僕たちは強硬な手段にうってでる。

”クーデター”

もちろん、その時点ではまだ内部紛争だ。

軍隊と民衆の衝突にすぎない。

けれどもクーデターが起きる時というのは、
自国の領土に対外的な危機が迫っている場合が多い。

第二次世界大戦の前に起きた「二・二六事件」
日清・日露戦争の前に起きた「明治維新」

どちらも政治不信をきっかけにして勃発し、
そしてその後の世界的な戦争へと繋がっていった。

で、どうしてクーデターを起こす必要があるかというと、
軍事行動を起こす必要が自分たちの目前に迫っているからだ。

他国の侵略が明らかに自国に迫ってきている状況ならば、
日本としてもその対抗手段を準備しなければいけない。

敵国の軍隊が自国に攻め入ってくるその前に、
日本の周りに”バリア”を張っておく必要があるのだ。

第二次世界大戦ではタイやフィリピンやビルマ、
そして日露戦争における清がその軍事基地(防衛前線)に該当していた。

ところが、そのような状況下において、
政治は「和平交渉」や「外交手段」で問題を解決しようとする。

できるだけ戦争を避けようとするのだ。

けれども”いよいよ”となった時には、
もはや話し合いだなんて流暢なことを言ってる場合ではない。

やらなければこっちがやられるのだ。

そのため、民衆から軍事的手段を求める声が上がる。

自分たちの生活を守るためにはもはや政治ではどうにもならない。

ましてや、それまでに、政治に対する不信感は存分に蓄積されている。

そうして大衆のフラストレーションが限界に達した時、
僕たちは武器を持って戦いを始める。

その結果、他国との戦争が始まるのだ。

 

 

誰もが戦争をしたくないと思っている。

たとえ正義のためでも人を殺すのなんて嫌に決まっている。

だけど、戦わなければこっちが殺されてしまう。

自分の両親や妻や子供、
そして大切な友達や恩人がみんな殺されてしまうのだ。

だから僕たちは武器を手に取るしかなくなってしまう。

政治家たちに国を任せておくことができない以上、
戦うことでしか自分たちの平和を獲得する道がなくってしまうのだ。

 

 

長年にわたる政治不信と聞くと、
どこか他人事ではない感じがしてしまう。

考えてみればまさに今、僕たちがその時代の真っ只中にいるではないか。

今この国の政治家を信頼している人たちがどれくらいいるだろうか?
今この国の政策を支持している人たちがどれくらいいるだろうか?

たしかに、今の僕たちがクーデターを起こすとは少し考えにくいかもしれない。

そんなエネルギーをもった人たちは少ないだろうと思う。

けれどもSNSの影響力が大きくなり、
一人の人間の思想に追随する者(フォロワー)の数が増えてくれば、
相当規模の思想集団が形成されることもあり得なくはない。

現に、似たような現象は起きているのだから。

そこに集まっている人たちは、
共通する一つの思想をもとにスクラムを組んでいる。

では、もしも、彼らが武器を手にしたら・・

そうなれば、もはや、クーデターが起こるのも時間の問題といえるだろう。

 

政治不信は戦争が起きる前兆の一つ。

だからこそ僕たちにとって、戦争は決して、他人事ではないのだ。

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