2020/10/19

論語は相互監視社会を助長する

 

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テーマ:謙遜

 

この国に初めて大宝律令という法律が制定され、
儒教の教えをまとめた論語が教典として入ってきたことにより、
僕たちの先祖の頭に「善悪の基準」と「人としての在り方」が設定された。

それらは日本人のDNAに深く深く刻まれ、
今日の僕たちの道徳観を形成するに至っている。

論語に書いてある内容を一言で言い表せば、
「平民は平民なりの幸福を追求しよう」
ということになる。

慎ましい生活の中にも個人の成長という価値を見出し、
人生の試練に耐え抜き、仁を全うする誠実な人間になろう・・

孔子(弟子たち)が言いたいのは、要するにそういうことだ。

まさに権力者が市民を大人しくさせるのにもってこいの内容に仕上がっている。

論語では随所にわたって徹底的に仁を説き、
仁を貫くためには命を賭けろとまで言っている。

それが生きるうえでの絶対的ルールであるかのように。

その仁の対象はご先祖様を指し、親を指している。
(また暗に権力者を指している)

そして慎ましさを何よりの美徳とするため、
仁の対象者と相対する時には屈服した態度が求められる。

だからこそ僕たちは、社会に出るとすぐに「謙遜」を求められるのだ。

 

 

常に謙虚な態度でいるサラリーマンが優良社員と評価され、
謙虚な姿勢でいる若者が初老の大人たちから気に入られるこの社会。

その現実こそが、日本が儒教国家であることを証明している。

社会は謙遜しない人間を未熟だと評する。

集団の輪を乱す人間を不適合者だと評する。

それはきっと、そのような人間のことを、
ルールに従わない”反乱因子”と見ているからなのではないだろうか。

自分たちが代々維持してきたこの秩序を脅かす恐れのある存在は、
社会全体にとっての「敵」となる。

だから誰もが声を揃えてその存在の「排除」を求める。

そうやって一人一人が自発的に秩序を保とうと努めるその姿勢が、相互監視社会へと繋がっていくのだ。

お上の監視によらず一般人同士がルールの遵守を監視する社会・・

そのような社会の構図が目に見える形となって表れたのが、
昨今のコロナウィルスに対する日本人の対応なのではないだろうか。

今は電車の中でマスクを着用していない人はまずいない。

スーパーやコンビニや郵便局など、
人が集まる施設内では誰もが漏れなくマスクを着用している。

それは自分の身を守る意味もあるだろうけど、
本質的な意味は別のところにあるような気がする。

僕自身も人の集まるところでは必ずマスクを着用している。

その理由は、自分を守る為というよりも、周りの目が怖いからだ。

たまに息苦しくなった時にこんなことを考える。

”もしも今ここでマスクを外したらどうなるだろうか?”

その続きをシミュレーションしようとしてすぐさま「無理だ」と断念する。

その時そこで巻き起こるのは、間違いなく、ネガティブで不快な出来事に違いないから・・

 

 

儒教は本来、僕たち一般人に幸せな生き方を示すために誕生したものなのだと思う。

けれども誕生したそれは、生み出した本人の意思を離れ、
今では隣国の人間たちを「道徳」という概念で縛りつけている。

 

当の本人もまさか自分が相互監視社会の実現の手助けすることになるとは思いもしなかっただろう・・

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